帰郷

前のエントリーから、だいぶ時間が過ぎました。
ええ、この春、東京から地方都市の実家に転居したのです。


引っ越しに時間を要していて、未だ片付いていません。
が、生活のリズムは段々整ってきています。


かつてギリシャに旅行したとき、広がるオリーブ畑をみて
「こんな所に移住したいなあ!」と思ったのですが、
同時に
「とは言え、住んだら色んなしがらみがあって、
観光旅行で見えるほど、理想郷でも無いんだろうな」


転職に当たっても、いいことばかりじゃない、むしろ
この歳で新環境とか厳しいんだろうな…と覚悟していました。


覚悟の範囲内で、厳しいです。
キャリアを捨てるって、こういうことなんだな、と実感。


東京暮らしを捨てることも、もちろん色んな覚悟をもって
臨んだんだけれど…


正直、覚悟の範囲を超えてました。
こんなに不便だったっけ…と。


東京のときは、3年後は想像出来ませんでした。
様々な技術が日々流れていき、生活はどんどん変わります。


こちらは、5年経っても変わらなそうです。
5年後の計画を、今の環境で立てる若者を見て、
のんびりしてるなぁ、それで不安ないんだなぁ〜と
良くも悪くも、感心します。


東京暮らしが長かったので、このゆっくりな生活は
心細いし、焦ります。


でも、良いところは受け入れていかないと、いつまでも
しんどいだけなんだろうな、と思います。
変わる勇気。 それが私の選択だったとおもうのです。

タレントショップ

東京で、やり残したことがある。


やり残したことはいっぱいあるけど(汗
これだけは後悔する。


小田和正のショップ(青山)に行くこと。


かつて、北アルプスの麓にも小田和正ショップがあった。
日参していた(笑


東京在住になったら、本店に日参するつもりだったのに
一度も行ったことがなかった。
理由は、特にない。


小田和正グッズが欲しいわけではないが
東京を離れたら一生行かない気がする。


というわけで、引っ越しを明後日に控えて家の中がひっくり返ってるのに
青山へ強行軍。
片道45分。 遠くはないのだが、地下鉄の便が良くない。


店でお茶が飲めるので(北アルプスショップでも飲んでいた)
本当はBGMの小田和正三昧(むしろ他の曲が流れたら驚く)に
のんびり、小田カルトでもしたいところだが。


こんな忙しい日に強行したせいで、店には5分も居られず
流れるビデオを観ることすら叶わなかった(爆


何しに行ったんだ?! と北アルプス店長に笑われそうだが
いいのだ、私ほどグッズに興味のないファンもレアだろう。
幾つか持ってはいるけどね。
(コーヒーカップとかオルゴールとか)


行ったことに意味がある。 満足。
これで東京に悔いなし!(笑笑


ちなみに、北アルプスショップはもう無いよ。たぶん。

思い違い

転職の一番のきっかけは、
行きたい土地で、就きたい職業に求人が出たから。
そして内定をもらえたから。


でも、その背景には
もう今の仕事は続けたくないという切実な想いがあって
後押しした。
そう、切実な。


それは、そう、社会倫理に背く仕事で
どんなに訴えても聞いてもらえなかったとか、そういうこと。


辞めると決まっても、今の課でも部でも本部でも
送別会とか解散会とかの話題も出ないし、
部長に限っては、私の辞める日も知らなかったし。


まあ、そんなもんよね、私なんてさ。
と思ってた。


でも、他の部署の人たちや、かつての上司たちが
送別会を開いてくれて、記念品や花束を用意してくれて
「やりたい仕事に就けて良かったね」


彼らの笑顔や、時々涙なんかを見ると、私はもっと
こういう人たちを頼れば良かったのかな、と思う。


自分は役立たずで、誰からも嫌われてるから左遷されるんだ
なんてのは、極端すぎる勘違いだった、と。


そんなふうに思いながら私が働いていたなんて知ったら、
この人たちをどんなに悲しませるんだろう。。


今の部署は確かに腐っていた。
客観視して、周囲の評価もようやく耳に入ってきて
やっと確信を持てたことだけど。


それでも、私はこんなふうに転職することは全く後悔しない。
このタイミングでやりたいことへと舵を切れるのは
こんな思い違いですら、ファクターだと思うから。


思い違いだったと知れて、かえって安心出来たから。


蛇足
なんだか、また文学を書きたくなってきた

もう奴隷じゃない

自分が奴隷だ、なんて思い続けるほど、
哀しいことはないと思う。


ずっと不満を感じてる職場に残り続けるとか
マズイと思ってる食堂で食べ続けるとか
やめることにした。


とりあえず、自分がやりたいと思える仕事ができる職場へ
春から転職。


市民になる。自由市民に。


ホントに区民から市民にもなるんだけどw

隣の席@カフェ

カフェで勉強する人は、けっこう多い。
勉強道具広げたまま、スマホSNSやり続ける人も。


しかし、今日の隣人は違う。
どうやら医師2人。
たぶん専門医か何かの、試験前対策。


症例を出題し合って、考えられる病気を考えて、
治療法を検討して、施術の方法や手順を確認し合って。
他の人がやってたことを、自分たちでも可能か検証して。
文献やノートを確認して。


ここは医局か?ってくらい白熱している。


たぶん彼らにしてみても、こんなことは趣味ではないはず。
試験前で必死なのかもしれないし。


でもプライベートを、こんなに勉強に割けるのはすごいと思う。
自分が生きていく上で、必要なんだと自覚しているのだと思う。


既に自分の力になってる、世界中の医師からすれば、
持っていて当たり前の知識でありモチベーションなのだろうけど。


それでも人間、知識はコピー出来ないから、
一人ひとりが習得の努力をしなければ、どうしようもない。


こういう積み重ねが「自分を買う」ことになるのだと思う。


私はまったく興味がない、会社を辞めたら絶対に関わりたくない、
情報処理の国家資格を取ろうとしているのだけど。
ベクトル間違ってるな、と思う。
寝る時間を割いても、会社では価値を認めないのだから。


情報処理の世界で生きる気がないなら、犠牲の方が大きい。


隣人のように、目的と目標をきちんと掲げた方が良い。
分かっているなら、行動に移すのみ。

奴隷かな、と思う

私の前世か、もしくは時代が時代なら。


私は奴隷かな、と思うのです。


いやいや。現代日本では制度として奴隷はないけど、
中味は十分に奴隷だな、とも。


自分の時間が持てなかったり、狭い部屋で暮らすしか
生活の術がなかったり。
人権が認められてるはずなのに、法律では裁けない
基本的な部分で差別があったり。


でも、古代ギリシャでも、
自分で自分を買って自由を手に入れた開放奴隷も居たのだとか。


現代日本では、この“開放”はもっと容易であり、
今の環境に縛り付ける要因は、自分の価値観だったり。


ここじゃなきゃ、生きられない。 もしくは
脱出しようとしたら殺される… のでなければ
どこへでも、行けるはず。ですね?


今は奴隷かもしれない。
でも私は、自分で自分を買える、現状打破目指す奴隷でありたい。
絶対に市民に成り上がる。

残業事情

さて、習い事発表会にエントリーの季節です。
というか、先月から先生には出ろ出ろと言われていたのですが。


自分でハードルをどんどん上げているので、
次はどんな作品にしようか、悩んでいたのです。


現在習っているのは、自分で合格点はやれない代物。
だからこそ、習っているのだけど。


でも、自宅で自習する時間が、まったく無い。


具体的には、
朝5:50起床、6:40家を出る。
7:45始業。
20:00頃終業。日によって19時過ぎだったり、21時だったり。
21:00前後に帰宅。
夕食、入浴を済ませ、00:30〜1:00就寝。


22時過ぎにテレビでニュースを観たりするので、その時間を
自習に充てることは出来るかもしれませんが…
体力的に疲弊ピーク時なので、難しいです。


そんなわけで、前に習っていた作品で出ることにしました。
それでも、まったく練習しないわけにはいかず、
厳しいなぁと思っています。


何度か実家にも帰りたいし、現在の残業には不満いっぱい。
私の人間らしい時間をとり戻したいです。


何度も上長に訴えているのですが、時間がなくて考えられない
という返答。私より遅く来て早く帰るのに。


一方で、先輩は残業時間20時間分の手当が出てるのに、
自分の業務を放棄して、定時に帰るのです。


きっと、日本中の過労死とその予備軍は、
こういう上司や先輩の犠牲になっているのでしょうね、と思うわけです。


残業は、会社じゃなくて人にも起因する。絶対に。