桜、早すぎる春 -4-

詩織はホール中央辺りのもとの席に戻り、最後のパネル
ディスカッションを聞いた。地上デジタルワンセグ
これらはどう動くのか。携帯電話は世界規模のサービス
を実現できるか。


聞いていて、詩織は何でも出来るように思った。技術は
先へ先へと進んでいる。コンテンツはどうだろう?詩織
がこれから作ろうとしているテレビ番組も変わってゆか
なければならない。
大きな課題を突きつけられた気分で、詩織はプログラム
を最後まで見届けると、人の波に押されるようにホール
をあとにした。


ホールからバス通りまでは広い歩道で結ばれている。
陽は落ちかけていたが、歩道にはダンスを踊る少年たちの
姿でいっぱいだった。詩織ももう少し若かったら踊って
いたかもしれないな、と呑気なことを考えたら、歩調が
いつもよりのんびりになった。今年も春がきたんだね。
めったに見上げない空を仰いで、詩織はぶらぶらとバス
通りに向かった。


「佐倉さん」
突然、遠くから声をかけられて、詩織ははっと我に返っ
た。足を止めて、あとにしたNHKホールを振り返る。


善文だった。皮パンのポケットに両手を突っ込んだまま
スッスと走って来る。脇にはジャケットを抱えていた。
善文はコンパスも長いなあ、と改めて思った。
「局に戻るんですか?」
あっという間に詩織に追いついた善文が聞いた。
戻ろうと思っていた。家に帰るにはまだ微妙に早い時間
だし、席に戻ればやるべき仕事は沢山残っている。
しかし、空を見て黄昏れていたら戻る気が失せた。
このまま、どこかに行ってしまいたいなあ…


詩織は善文の顔をぼんやり見ながら答えた。
「戻ろうかと思ってたんだけど…やめようかな」
それを聞いて善文はニコっと笑った。
「じゃあ、ちょっとだけ飲みに行きませんか?この辺なら
いい店、いっぱい知ってますから」
詩織は断る理由は無いと思った。善文とはもう会えない
と思っていたから、素直にこの誘いが嬉しかった。


この物語はフィクションです。実在する人物・団体・組織とは関係ありません