桜、早すぎる春 -25-

「シロクマは雑食なんです」
「クマ類はほとんどそうですよね?」
善文はまた綺麗な指を顎にあてて撫で始めた。詩織は
コクンとうなずいて続けた。
「さっきも話したように、夏の間は狩りをするんです。
アザラシとかセイウチとか。でも今はセイウチは難しいと
言われてるようです」
「体力が無いから、ですか?」
「そうです」


詩織は一旦、両手を膝の上に乗せ下を向いた。これを
話すのは、詩織にとってとても心が痛む。ゆっくりと
息を二回吐いて、今度は両手で球を作った。
「白夜って分かりますよね?北極は、夏には日が沈み
ません。だから夏の四ヶ月間、ずっと太陽熱を浴びるん
です」



出典:有限会社遊造


「このとき、北極圏の氷はすごい勢いで溶けます。
北極点はもともと、南極みたいに大陸が無いことは
ご存知ですよね?」
「もちろん」
善文は特に表情を変える様子もなく詩織の話を聞いている。
グリーンランド、カナダ、アラスカの一部などが北極圏に
入るんですが、最近、夏になるとアラスカ側の氷はほとんど
溶けてしまいます」
「土になるわけですか?」
「そうです。そればかりか、海になります」
「え?」
「夏になると、北極圏の氷は日本の大きさよりも、もっと
広い範囲が海になります。」
「まじですか?」
「シロクマはもともと泳ぎは得意なんです。だから氷が
溶けても泳げるんですが…。桁が違いすぎるんですよ。
氷の上にいるには広い範囲を移動しなければならない。
海に落ちたら、それこそ長い距離を泳がなければ氷には
乗れません」
「温暖化、って、そんなに進んでるんですか?」
善文は指を顎にあてたまま、眉間に皺を寄せた。
「ぞっとしますよ、北極の衛星写真を見ると」
「見たんですか?」
善文は大きな声を上げた。それから小さく頭を下げて
「すみません」
と言った。詩織も苦笑した。
「見れますよ、誰でも。興味があればどうぞ」
「どうやって?」
「ネットで検索すれば、すぐ」


善文はしばらく黙っていた。ソファーに体を深く沈ませて、
何かを考えるように天井を見ている。
詩織はどうしたら良いのか分からなくなって、とりあえず
テーブルの上のビールに手を伸ばす。ごくごくと二口飲む。
なんだかにがい。


「そんなに温暖化が進んでいて、地球は助かるんですか?」
善文は呟くように言った。
「まだ間に合うんですか、僕たち人類は?」
その言葉に詩織は心にナイフを突き刺されたような痛みを
感じた。人類は。人類は助かるのか?
「わかりません。少なくとも今の生活を続ければ、
誰もが、研究者の誰もが言うように人類は危機を迎える
んでしょう。それが正しいか、私にはわかりません」
「僕たちのこんな日常が」
善文は首をがくんとソファーの背にもたせかけて呟く。
「今も地球を壊しているんですね」


この物語はフィクションです。実在する人物・組織・団体とは関係ありません