肩たたき

私は陽が落ちて暗くなった窓の空を見上げた。星なんか見えない。
私がぽつんと一人、会議室の椅子に座っている姿が窓に映るだけだ。


ああ、やっと終わった。


今の役職に就いて一年。営業畑に居た私にこの人事異動は
青天の霹靂だった。営業成績は中間、良くも悪くも目立たない私。
その私が、突然本社人事二課の課長だ。


配属初日、いきなり部長から下された命令。
「一年間に200人の社員を解雇すること」
ああ、あの日のことはよく覚えている。それを聞いて、自分が
解雇された気分になった。


会社の業績はそんなに悪くはなかった。しかし200人解雇しなければ
今期の黒字は確保できないだろうと言われた。
私は初めて全事業部の業務成績というものを見た。驚いた。
赤字を出し続けている部署がある。しかも我が社の基本産業部門でだ。
これは製造過程を見直し、必要な機械を導入し、無駄なコスト
つまり人件費は削らなければならない。私は青くなった。


「君は業務効率を考えなくていい。とにかく、必要な部署から
 必要なだけ、人員を削減してくれ」
部長は無表情でそう言った。


A事業部。赤字10%が2年連続。人員10名解雇。
B事業部、B工場。赤字50%。人員35名解雇。
単純に赤字率から削除すべき人数を割り出す。
割り出したら、今度は社員の成績表を見る。単純に下から必要
人数を削る。扶養家族の有無はあえて考慮しない。


リストアップされた者たちの履歴書をとりまとめ、順番を決めて
一人ずつ面接した。
「君はなぜ、決められたノルマをクリアできないのか?」
「君はなぜ、遅刻が多いのか?それが周囲の迷惑とは思わないのか?」
「君はなぜ、会社のルールに従って生産できないのか?」
「君はなぜ、得意先からのクレームが多いのか?取引を幾らダメにした?」
「君はなぜ、接待費がこんなにも必要なのか?」


一人ずつ問題点を指摘する。彼らのほとんどはうなだれて俯くだけ。
そして翌日には辞表を提出させるのだ。
中にはそのまま失踪した者もいた。辞表も出さず、罵声を残して
部屋を出て行った者もいると聞く。


しかし、終わったのだ。
今日でちょうど1年。目標まであと一人。199人をこの手で解雇してきた。
あと一人。まだその一人とは会っていない。なんでも一週間以上、
無断欠勤しているという。それだけで解雇の理由になる。
もうあんな辛い面接はしなくてもいい。今日で私の仕事は終わりなのだ。


窓の外は向かいのビルの明かりで、綺麗な街の夜景を映し始めた。
東京は夜の7時。私の影が、窓ガラスに映る。
椅子にぐったりと座っていた私の後ろのドアが開いた。
部長が会議室に入って来たのが窓ガラスに映って見えた。
私は振り返りもせず、ただ仕事が終了したことを部長に報告しなければ
と思った。


部長は座っている私の横に立ち、左肩に手を載せて言った。
「ご苦労だった。約束通り、社員を解雇できたよ。
 君はもう、この会社で充分に働いた、そう思わないかい?
 君にはもう、この会社で出来ることはない、そうだろう?」
私は驚いて部長の顔を見上げた。部長はあの日のように無表情で言った。
「辞表は明日で構わない。私の机の上に出しておきたまえ」