母を借ります

うちの父は科学者で、私が赤ちゃんの頃は忙しかったらしいけど
物ごころついた頃には、夜9時には帰って来て、子供たちとふざけたりする
人でした。


いつもふざけてばかり。しかも悪ふざけ。中学くらいからは私を
怒らすことが多かったなぁ(笑)
でも、この御時世におもちゃを手作りしたり、職場の研究室に入れて
何気にいろいろ見せたり、家族との関係を放棄する人ではありませんでした。


父の言うこと(薦めるスポーツとか、職業とか)は全然やりもせず、張り合いのない娘でした。
科学者の娘なのに理系には進まないし。


年ごろになってもちっとも男性連れて帰らない(爆)
母と電話してると、いつも背後で父が「結婚しろよ!」と大声でわめいてました。
無視してましたけどねw


アラサーとかになると、さすがに洒落になってなくて、弟に先を越されるし(笑
娘を手放したくない、は皆無で「さっさと出てけw」って感じ。
別に仕事してたって結婚はできるわけだし、私って父不孝な娘だなーと思ってました。


そんな頃、祖母が急逝して、父方の親戚が、初めて?勢揃いしました。
当時、私は今より20kgほど細かったですし(爆)、職場から北アルプスの麓の病院に
急行したときは、いかにも仕事できそうな、スーツにヒールでした。
伯父が「案外、まともなんだな」と言いました。←この憎ったらしい表現は父そっくりw


親戚は私が赤ちゃんの頃しか知りません。就職して東京に居る、くらいは知ってましたが。
美人な父の従妹たち。その人たちに向かって、父は本当に無邪気な笑顔で
「こいつ、東京で仕事ばっかり。僕なんかより、ずっと稼いでますよ」と自慢。


父より稼いでる、ってことはないでしょうが(汗


あー、そんなふうに思ってたんだー と思いました。私が仕事してること、
認めてくれてるんだなーと。


なのに、仕事もできないような体になっちゃって(呆)4月なんて給料、ほとんど無いよ。
しかも病気が悪化してからは自己管理がかなり難しくなったため、
北アルプスへ帰るまでの数日間、母を呼びつけて「ごはん作ってくれー」。


父、ごめん。母、借りる。帰っても将棋できないけど、指南してあげるからね(何