少女がみた未来

その朝、少女は泣いていた。悲しそうな表情で、涙で頬をぐしょぐしょに
濡らし、キッチンの戸口に立っていた。父は少女を抱き上げて、
優しい声で聞いた。
「いったい何が、君をそんなに悲しませたんだい?」
少女は父の瞳をみつめ、さらに涙を流しながら語った。


「あのね、砂浜に綺麗なおうちをいっぱい作ったの。
 でもね、大きな波がざぶんってきて、おうちにかかって、
 それでね、おうちを海の中に引っ張っていったの。
 砂浜にね、いっぱい、いっぱい、人が死んでいたの」


父は少女の語る不気味な風景に嫌悪を覚えたが、優しく微笑んだまま、
「こわい夢をみたんだね。大丈夫だよ。海は今日も穏やかだよ」
少女を抱えたまま、父はテラスに出た。小さなギリシャの島を囲む
海は、今日も太陽の光をいっぱいにうけ、眼下に蒼くひろがっていた。


この日、父はスマトラ津波に飲まれて壊滅的ダメージを受けることを
知らなかった。


それから、少女はたびたび泣きながらベットを出てくるようになった。


飛行機が燃えて、中から黒くなったお人形がいっぱい出てきたの。
まっ白な大地で遊んでいたら急にお友達がズボっと大地に吸い込まれたの。
綺麗なお洋服を着た人たちがいっぱい、踊っていたのに偉い人が来て
その人たちを殺しちゃったの。


不気味な夢ばかり見る少女に、父は不安を覚えた。どうしてあの子は
変な夢をみるのだろう。どうして、あんなに泣くのだろう。
教会に行って、少女の苦しみを取り除いてくれるようイエスに祈った。


教会から出てくると、ニューヨークに仕事に出ていた隣の家の青年に
ばったり会った。青年は隣人の顔色が良くないことを心配した。
父はため息まじり、少女がみる夢の話をした。
青年は飛び上がるほど驚いた。そして大きな声を出して言った。
「彼女のみた夢は、すべて、現実ですよ!」


噂はあっという間に小さな島に広まった。島からアテネへ、アテネから
世界へ、未来を予知する少女の噂が広まった。


少女の話を聞こうと、多くの人が島にやってきた。少女は毎日、
大人たちに囲まれた。悪夢は前にも増して頻繁にみるようになった。
少女はマリアの化身だ!と言う大人が現れた。
少女は嘘つきだ!とを言う大人も現れた。
一緒に遊んでいた島の子どもたちに、石を投げられるようになった。
そんな子どもたちを、大人たちが容赦なく殴ったり蹴ったりした。


少女が日に日に衰弱していくので、父は心配した。少女を取り囲む
大人たちを追い払い、蒼い海の見えるテラスで少女をひざに乗せ、
「きみはちっとも悪くないんだよ」優しく話しかける。
少女は涙で赤く腫れた瞳で、蒼い海を見詰めていた。


次の日、少女の遺体が紺碧の海に浮いた。


キッチンのテーブルの上に、一枚のメモが残されていた。
少女の字だった。それは少女が残した最後の予知夢だった。
「まんまるのお月さまが出た夜
 星が怒って
 山が砕けて、海があふれて、
 人間は、みんな死んじゃった」


この不気味なメモは少女の死を知らせるニュースとともに
世界中に伝えられた。
地球に隕石が落ちる、と言い出す者がいた。
しかしそんな天体は見られないと専門家が反論した。
休火山が活動を始めて沈む島がある、と言い出す者がいた。
しかし大きな活動を始める休火山は見付からなかった。
満月の夜が来た。
人々は何に祈ればいいのか分からないまま、空を見上げて祈った。


しかし、なにも起こらなかった。明るい満月が世界のどの地点からも
観測され、美しい姿が放映された。人々の不安は怒りに変わった。
「少女は預言者でも何でもない、不気味な夢をみる狂人だった」
「人類が滅びるはずがない」
父は白いテラスの上で、今日も変わらない海を眺めていた。
少女が受けた中傷がまるで我がことのように辛かった。
自ら死を選んだ少女の気持ちを、今さらながら考えていた。
滅亡を見た少女は、人類に絶望したのだろうか。
それとも、滅亡を見た自分の人生を呪ったのか。


世界はまたいつもの生活に戻った。
工場の煙突が空を焼き、草原では地雷が爆発し、発電所からは
不要になった原子炉が運び出され、川から海へ汚染物質が流され、
人間の近寄らない島には魚と鳥の死骸が打ち寄せられ、
北極の氷山がまたひとつ海に沈み、世界の温度はまた1度上がった。
ロケットが発射され、国際宇宙ステーションはまた少し広くなった。
ロケットの破片は地球を覆う大気の上を、流される宛もなく
漂っている。


何回かの満月の夜。それは突然にやってきた。
この日、地球は突然、自転を止めた。
どかんという音と共に山という山が砕けた。海全体がまるで大きな波の
ように大陸を洗った。地殻が、マントルの上をズルリと滑ったかのようだ。
大陸のすべてのものが、瞬間にして何十キロも吹き飛ばされた。
海溝の底からガスが噴出し、まさに怒り狂いでもしたかのような炎が柱のように
幾つも立ち上った。
この地獄絵を伝える人間は、どこにも居なかった。居なくなった。


ギリシャの島も無くなっていた。大陸もなくなっていた。
白いテラスも、青い海も、何もかもがミキサーにかけられたかのように
形を失った。
ただ・・・少女の名前を刻んだ白い石の破片の上に、父の名前を刻んだ白い石が
まるで少女を包むかのように被さっていた。