「君のことを想うとき」

昨日紹介したミク曲を聴いていたら、あるネット友達を思い
出した。某SNSでのみ友達で、リアルの彼については
何も知らない。


仮に彼をオダと呼ぶ。
オダはとても繊細で、触れただけで壊れそうな人だった。
裕福な上流階級に生まれ、才能にもあふれていた。
しかし、どういういきさつか、彼は心に大きな傷を持っていた。
上流階級にも関わらず、彼の学歴は高くなかった。
そんな彼がリアルでどんなに辛い境遇だったか、想像することは
難しい。


彼にとって、某SNSは自分を表現できる場所だったと思う。
饒舌で、冗談が大好きで、綺麗な小説を書き、素敵な曲を作った。
それでも彼は、本当の自分を表現できていなかったのだろう。
IDを何度も替え、いろんなキャラを演じた。だけど
心に人が入ってくるのを拒むかのように、彼は好んで女の
アバターを使い、女言葉を綴った。それが彼を守る唯一の鎧のように。


出会ってまもなく、彼はいつものようにIDを消そうとしていた。
私は泣いて止めた。しかし彼のコンテンツはどんどん消えていった。
その日、彼が最初に音楽をアップした。消えるIDの置き土産として。
もちろんIDが消えるまでの数分しかネットには無かったのだけど。


後日、彼と再会(ネット上で)したとき、その曲をDLしていた
ことを打ち明けた。そしてその曲に「君のことを想うとき」という
タイトルを付けたのだと言った。
すると彼は、歌詞のなかったその曲に「君のことを想うとき」という
タイトルと歌詞をつけた。それが、これ↓。
Vocaloidが無かった2004年の作。



http://jp.youtube.com/watch?v=jBQKYYZHgdw


その後もオダは沢山の曲を書いた。歌詞もつけた。
それらは「歌に形はないけれど」に、とても似ている。
もしかして、作曲者はオダなのではないかと思う。


しかし現在、オダと私はいかなるツールでも繋がっていない。
SNSを退会するときは連絡先を教え合おうねと約束したのに、
オダは消えていた。教わっていた音楽サイトも消えている。
もう私は、オダと会う術を失っている。


「歌に形はないけれど」の作者がオダかどうかは問題では
ない。私にオダという存在を思い出させただけで充分だ。
これから私はできる限りの力を使ってオダを捜す。
Vocaloidが出た今、そしてvocalが女声であるということに、
オダはミクを使っている可能性はとても高い。


ガラスのようなオダ。今、あなたは元気にしてますか?