桜、早すぎる春 -17-

「そんなにCGやりたければ、あっちでMGMかユニバース・
ピクチャーズに入れば良かったのに」
「そういうおとぎ噺系じゃなくて、歴史の復元みたいな
ものをやりたいの!」
「そんな大きな映画会社じゃ入るのも大変でしょうしね」
詩織はしれっと言ってみた。ゆいは詩織をじろっと見たが、
何も言わなかった。


「じゃあ私、そろそろ失礼します」
詩織は椅子の背中にかけてあるジャケットを取った。
足をそろえて、すくっと椅子から立ち上がる。
「佐倉さん…」
善文もすっと立ち上がった。
「もう一度、会えますよね?」
「さあ、分かりません」
「会えますよ。佐倉さんが電話番号教えてくれれば」
善文は急にニコニコして言った。


「ええ?」
詩織もさすがにこの手には参った。断る理由がない。
「じゃあ、赤外線でどうぞ」
詩織は鞄の中から携帯を取り出し、善文に向けた。データは
うまく善文の電話帳に記録されたようだ。
「これ、個人の番号ですか?会社ですか?」
「個人のです。と言っても仕事にも使ってますけど」
詩織は携帯を鞄に入れようとした。善文がさっと手を出して
「僕の情報は要らないんですか?」
またニコニコしながら、携帯を前に差し出している。


「強引ですね、田辺さん」
詩織は笑って善文の情報を記録した。見ると、自宅と
会社の電話番号、メールアドレスがふたつある。ひとつは
nhk.or.jp。会社のメールアドレスも入っていた。
「会社にメールしてもいいんですか?」
「構いませんよ」
「うちの会社からしてもですか?」
善文は両手を皮パンのポケットに入れ、肩を揺らしながら
笑った。
「構いませんよ。そちらさえ良ければ」
詩織は善文の綺麗な笑顔を見ながら携帯をしまった。
「いいわけ、ないですよね。会社からはやめときます」
ふふっと善文が笑う。


「どうして?」
座ったままのゆいが二人を見上げて尋ねた。
「ふふっ。ないしょ」
善文はまた肩を揺らせた。
「じゃあ」
詩織は鞄から財布を出そうとした。すると善文が
「ここはいりません。その替わり、この次あったときには
佐倉さんが出す、っていうのでいかがですか?」
詩織は「あはは」と笑った。絶対にもう一度会う気だ。
そんな善文が可笑しかった。ちょっと可愛かった。
「わかりました。では近日中に」
詩織は善文とゆいに別れの挨拶をすると、外へと向かう
階段を昇った。
不思議と足がいつもより軽かった。


この物語はフィクションです。実在する人物・団体・組織とは関係ありません