ウェブ時代をこうやって生きてみたい

id:keitabando の日記を読んで、ああ、一年前にこんな企画が
あったなぁと思い出した。私もkeitabando氏と同じように*1既に
購入する気でいたから「もらいたい」と思ったわけではない。
が「ウェブ時代をこうやって生きてみたい」と考えたことが
ないために、いい機会だと思って書いてみた。

梅田望夫の新刊書籍が30名様に当たる”「ウェブ時代をゆく」欲しい!”プレゼントキャンペーン開始


http://d.hatena.ne.jp/hatenadiary/20071029/1193645977


当時も、そして今も「ウェブ時代をこうやって生きてみたい」と
いうテーマには若干違和感を感じる。言い訳ではないが、
やはり私の去年のエントリーは具体性に欠けている。
確か、これは抽選ではなく、梅田さんご本人がエントリーを読んで
(いったい何百読んだのだろう、おそろしい…)
10名くらいに当たった気がする。
その10名のエントリーを読んで「具体的だなぁ」=私は具体的じゃ
ないな、と思ったような記憶がうっすら。


「ウェブ時代をこうやって生きてみたい」というのに違和感があった
のは、既にウェブ時代なのに、こうやって…というのは
どういう意味だ?と思ったからだ。一年前は未だ世間一般、もしくは
現在も「ウェブ時代」では無いのだろうか??
梅田さんの著書「ウェブ時代をゆく」は、私はこのタイトルよりも
副題の「いかに働き、いかに学ぶか」に撃ち抜かれて、何度か
ぶっ倒れそうになった(笑)


ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)


この本はPCの横に置きっぱなしになっていて、いつでも何度も
読み返している。噛めば噛むほど味が出るwちなみに歯型は付いてない。


果たしてこの一年、自分はどうであったろうと、日記読み返してみた。
やはりろくなことを書いていない… が、しかし私は
ネットを通して世界を知りたい、と書いてあった。
「世界」には到底追いついていないが、「私の世界」はこの一年で
大きく広がった。それはブログのお陰であり、「はてな」の
サービスのお陰(はてなスター)である。
をを、なんとか歩いてきているではないかw(甘)


で一年、ずっと頭に引っ掛かってるのが同著の
「五百枚入る名刺ホルダーを用意しよう」である。
数だけなら、ものすごい量のものすごい人脈を持っている。が、それらが
「生きて」いるかというと、残念ながら臨死状態である。
本当に生きる名刺500枚というのはかなりの数で、そんなには私には
持てないように思う。でもずーと、そういう人脈を活かす力が必要だと
感じている。


自分の名刺も20種類はゆうに超えている(爆)
いかに私の異動が多く、広いジャンルで悪戦苦闘してきた証だがw
こんなものを武器にしたら会社に大目玉を喰らうw
大会社は会社の看板を背負った没個性が働いているわけで、
それを個(私的)に使ったら会社は許さないw


keitabando氏や、id:simpleA のブログは、それだけで名刺代わりに
なっている。いつも「すげーなぁ…」と思う。
お二人のすごいところは、ブログを活かす背景に、充実したリアルが
あるからだ(と思う)。活動の一部がブログというメディアを通して
垣間見れるのである。ブログを「メディア」と呼ぶのは時期尚早か?w


私がSNSをやめてブログにした理由は、一つに「くだらない日記を書くな」
とコメントされたから。SNSで「足跡返し」を意識している人は、毎日
アップする私の日記は「うるさい」のだろう。別に返してくれなくて
いいんだよ。


それと重要な、むしろこちらがメインの理由だが、
両親が私の日記を読める状態にしたかったから。
私は闘病中で、実は「重症」の域に入るのだが(笑)一人暮らし。
両親はとても心配なのだ。こうして私がブログを書いている間は
安心できる。だからこのブログが「名刺」になるような使い方は
今後もしないだろう。


充実したリアル…いい加減には生きていないが、形の残せる状態では
今はないw でも残すよ。ウェブ実験のお陰でそれなりの手応えは
掴んだつもり。具体策はもうちょっと病気が良くなってからね。


蛇足だが「将棋好きなんですか?」という質問を再三されるが、
ついに「いいえ、嫌いです」と答えるのは、最近、やめにしたw
「ネットの伝道師が将棋好きで、彼の著書を読むには将棋を知ってる
 方がいいんです」


棋士および将棋好きファンのみなさま、私を本当に心から
「はい、将棋好きです」と言えるようにしてください♪(をぃ

*1:keitabando氏はこのキャンペーンで見事10名に入選されている♪