webオープンの温度差

twitterを見ていたら、下記のtweetを発見。

『ウェブで学ぶ』(梅田望夫、飯吉透、ちくま新書)読了。衝撃。オープンエデュケーションという言葉を知らなかった自分にとってまた新しい世界が広がった。MITやYale大学など超一流の講義がウェブ上で無料で受けられる時代になった。教育を受けるコスト、学習のコストはここまで下がったのか。


これは私にとって別の意味で衝撃だった。
約1年前の「オープン・アクセス・ウィーク」に東大の講堂で行われた
世界一早い「オープン・アクセス」集会では成果報告(受講者数等)
のみならず、これに関わる問題が討論された。
このtweetをした方がどういうお立場なのかによっては
決して遅いとは言えないとは思うが、ぶっちゃけ私にとっては
「え!知らなかったの?!」という衝撃である。


ということは、恐らくMITのみならず、東大・京大など日本の大学も
着手していることは知られていないのだろう。


私は自分は典型的な一般人だと思っているのだが、やはり
デジタル関係の会社に勤務しているということは、ネットとの関わりは
深い方なのだろうか? 自覚がまったく無いのだが。


2年ほど前、梅田さんが「ウェブ時代をどう生きたいか?」と
質問を投げかけたとき、「もうウェブ時代なのに、何を今さら?」と
思ったのは、勘違いだったのだろう。
まだ「ウェブ時代」では無いのだ、きっと。


そう言えば、今日地下鉄を待っているあいだにふっと
「子供のころは、辞書をひくとき『調べたい単語がすぐ出ればいいのに』
 って思ってたよなぁ」
と考えた。


辞書をひく。
ぼんやりしていると、は行とま行のどっちが前だか分からなくなったり。
このあたりかとページを繰ってみると「よ」まで飛んでイラっとしたり。


それが今ではテキストボックスに単語入れて検索ボタンをGoするだけで
意味が表示される。子供のころの理想は、現代の子供にとって現実。


電車が来たので座ってさらに続きを考えた。
すると現代の子供たちは、その単語の前後にある単語をついでに読むとか
そういう機会は損失してるんだなー。
図書館の辞書なんかだと、パラパラ漫画が落書きしてあったりするけど
ああいう「パラパラ漫画」の発想は出来なくなるのかな?
すると私たちが動画は静止画像の連続だと簡単に理解できることも
現代の子供たちには難しくなるのかな?
1秒間に12枚、24枚、54枚… 枚数が増えると映像は綺麗になるんだよ…


とんでもない方向へ思いが巡って、疲れてしまったから
対面に座っていたイケメンのファッションチェックを楽しんだのだが
(赤い腕時計がかっこ良かった!)


もうすぐ今年もオープン・アクセス・ウィーク。
この温度差はいつか埋まるのか。それとも知らない世代と知る世代で
一線が引かれたまま時間が流れて行くのか。