価値観と対価

人によって価値観が違うというのは、もう当たり前のように
誰もが分かっていることだと思うのだけど。
なのに「対価」ということになると一元化されているように
思われる。これに気付いてない人が多いように思う。


ぶっちゃけ、納得いかない。


以前、doriko氏が、自身のHPで無償配布していたmp3楽曲が
CD化されることになったとき、私はdoriko氏の才能が
「売上」とか「オリコンチャート」とか、そういうものでしか
表現できない日本の仕組に疑問を抱いた。
「彼にお金を払ってあげたいじゃないか」というコメントを頂いたし、
それでdoriko氏は現にスペックの高いマシンを作って
作曲活動がスムーズになったらしいから「気持ち」→「金」が
悪いとは言わない。


納得がいかない、というのは、具体的には定食屋のごはんの「量」だ。


定食屋は昼であろうと、どんぶり大のお茶碗に山盛りのごはんを
出してくる。私の通常の量の3〜4倍だ。
店に入ってごはんの量がそうだと分かると、私は注文のときに
「ごはん半分にしてください」と言う。
すると必ず言われるのだ。
「料金は安くなりませんよ?」


ごはんの量に価値観を置いた表現である。しかし私は
昼食は美味しく食べたいし、満腹になって午後の行動が苦しくなるのは
ご免だ。わたしの価値観は「ごはんの量」ではなく「美味しい昼食」。


美味しく食べるためにごはんの量を半分にして欲しいと注文するのだ。
「お金払って食べてるのに、なぜ苦しい思いをしなければならない?」
というのが主張である。
「料金は安くなりませんよ」というのは、不本意な質問だ。


しかし、かつての守銭奴の同僚は違った。
彼女はお金を貯めるために、昼食はいつもソフトサラダ2袋。
「ダイエットしてるの♪」と言っていたのだが、ある定食屋に行ったとき、
私がごはん半分オーダーしたのに驚いて
「私は普通でお願いします」と注文したあと「同じ料金なのにもったいない」
と言った。


頑張ってダイエットしてるのに、お金払ってチャラにする神経の方が私には
理解できない。守銭奴のきみらしくない発言じゃないか!
まぁ、本当のところはケチがメインでダイエットは嘘だったから
彼女の行動に矛盾はなかったのだが。


というか、たぶん、彼女の発想の方が一般的だと思われる。
価値観は違うのに、対価は一元化。「ごはんは量で値段が決まる」。


同じようなことは色々ある。
飲み放題なんだからと、ぐてんぐてんになるまで飲む。
私は飲むなら例え飲み放題であろうと美味しく飲みたい。
お金払って二日酔いだなんてご免だ。


温泉に行く。全部の種類のお湯につかろうとハシゴする。
私は温泉にはくつろぎに行きたい。
お金払って慌ただしい上にのぼせるなんてご免だ。


カフェに行ってコーヒーを飲む。
ファーストフードの方が安いからと待ち合わせの場所を変更される。
お金払って美味しくない(主観)コーヒーを飲むくらいなら、
いっそファーストフードにしか無い飲み物を注文する。


価値観も違えば、払いたいお金(対価)も違って当然だと思うのだが。


しかし数年前京都で、男性に混じって定食を食べに行ったとき、
何も言ってないのに、私のごはんだけ、どんぶりではなく
茶碗で出されたことがある。
許可なく少なくされるのも、それはそれで不満なのだがw