伯父の高速道路

伯父が他界した。
約3年に及ぶ、長くて壮絶な闘病生活だった。


伯父は身内から見ると、人騒がせな変わり者。
厳格で妥協をゆるさない頑固者。
実の姪でも、ちょっと怖くて近付けない存在。


しかし伯父が自らの理想をとことん追及し、
無鉄砲とも思える団体を日本に持ち込んだことは、
結果として、偉大だったと言わざるを得ない。


伯父が好きで好きで追いかけたものが
今では多くの人たちの、文化的、学術的…
ん〜 分からないが、とにかくグローバルな活動の
礎になっている。


伯父は世界を愛するがゆえに、実家に帰って来ることは
ほとんどなかった。祖母が他界したときに初めて、
まともに会話出来たような気がする。


伯父の危険を知らされてから約3週間、私は可能な限り
伯父の病室を訪ねた。
今まであまり話したことがない、なんて溝は
血の強さがあっさり埋めてくれて。


伯父がどれほど情熱的であったか、そして偉大な功績を
残したかは、この3週間でよく分かった。


怖くて近付けなかった伯父が、まるで小さい頃から
ずっと一緒だった娘かのように、私に愛情を
注いでくれていることも分かった。


伯父の葬儀はまだ決まっていない。
だから彼をリーダーとした団体の後輩、関係者たちには
訃報は伝えていない。
知らせたら、悲しみの言葉がネットに綴られるのだろう。


変わり者で頑固者だった伯父は、最期に私に
「好きを貫く」ことの大切さを教えてくれた。
私にとって一番の「好き」を自覚したときは、正直
戸惑ったけど、伯父の姿は私に勇気をくれた。


伯父はけもの道を歩き、その後をついて行く人たちのお陰で
それは一本の高速道路になった。


私の「好き」には、もう高速道路が幾つもあって、
どこも大渋滞で、料金所に入ることすら困難であるけど、
でも、それが「好き」なら、その道路に
乗るしかないじゃん。
渋滞をすり抜けて、先頭まで走るしかないじゃん。
諦めるのは、血反吐はくまで走り抜いて、それで
「もう走れない」と自分で納得できる時でなければ。


伯父に私の決意を宣言出来なかったことは残念だが、
この運命が、私に決意をくれるのだとしたら、それが
伯父と私との関係なのだと思う。


短い時間に、たくさんのものをくれた伯父の
冥福を祈る。