私の新年

明けましておめでとうございます。
と書いても、以前のように読みに来てくださる方は激減です。
それもこれも、私がネット世界から姿を消していたからでしょう。


数えてみたのですが、昨年は21エントリーしか書いていません。
それも実はiPadからで、近くのカフェで書きました。
家のパソコンをONにすることは月に数度となり、毎回、WindowsUpDateが
走っています。


今年は東京で、一人新年を迎えました。
外出禁止令が出るほどに、病気が悪化したのが、ブログにも帰省にも
ブレーキをかけました。


こう書くと医者が悪いみたいかもですが、私自身、そう言われて
安堵しています。「ドクターストップだから」と言えば、本当は
自分が動けない、なんて説明はしなくて良いからです。
医者もそれを分かって、はっきり口に出すのだと思います。


3年ほど前まで、ブログはほぼ日記で、ライフワークでした。
それを苦痛とも思ってなかったし、はてなダイアリーでつながる
仲間との交流はむしろ楽しみでした。


それを無理に断たせたのが、当時担当していたカウンセラーです。
カウンセラーって、いったい何のカウンセリングをする人なんでしょうか?
今なら「あなたイカサマでしょ」とはっきり言えるのに。
カウンセラーの資格の有り無しの確認もしないまま、当たり前に週一、
顔を付き合わせ、時間をつぶし、彼女の支配に従っていた自分が不思議です。


あのカウンセリング総額、約100万円の返金を要望したいなぁ


彼女はブログだけでなく、私の健康も著しく損ねました。
まさか密室でそんなエセ療法が施されていると知るよしもなかった医者は
いま、こんなにまで悪化してしまった状態から私を救うのに、
国内では例の少ない症状を必死で学び、間違っても彼が私を死に
追いやることのないよう、安全な治療方法を選択しています。


完治はあり得ません。残念ながら世界に一例も存在しません。私も
これが治ることのない病気だと分かっています。


こんな私は、どうやって生きていったらいいのか?
それを考え続けた二年間でした。まだ答えは出ていないけれど。


かつて梅田さんの本に影響されて、自分も好きな道を歩こうと
独立を意識したことがあります。
しかし、悪化して病気の重さを自覚してからは、簡単に
「好きを貫く」ことが私にはできないと分かりました。
ただひとつ、好きなことを選ぶことが、こんなに困難だなんて
想像したこともありませんでした。


リアルで交流のある方の何人かには、年賀状で打ち明けましたが、
私には中学生くらいの頃から、とても好きだったことがあります。
それは趣味であって、生きる道具ではありませんでした。


二年間、散々苦しみながら感じました。
もうそんなに時間は残ってないな、と。


飯を食うために始めるのだとしたら、もう遅すぎる。
しかもその道は、高速道路で例えるなら東名高速
誰もが一度は使い、もしくは使わなくても知っていて、
路線もSAもジャンクションも多いのに、年中人でいっぱい。


そんな道路に、今さら乗ろうというのです。
就職してやめてしまっていたその趣味を、再開しました。


そこで渋滞を通り抜けて一番になる、なれないのなら
降りて自分のやり方で、自分らしさで勝負する、
それは本当に現実的なことでしょうか?
仮に道路を降りたところで、エスケープルートさえ既に
多数存在する世界です。


そこで飯を食うかどうかは、私には問題ではなくなりました。
今やらなければ、好きなことに注力できないまま死んでしまう。
死ぬときに絶対に後悔する、それが高速道路に乗った理由です。


今のまま、仕事にも就けず外出もままならず、貯金を削って
死ぬだけなら、せめて楽しく過ごしたいじゃないですか。
いつまでも100万円を根に持って、悔やむだけの生涯なんて
地獄と同じじゃないですか。


そんなこんなで、まだネット世界にすら戻る宣言もできませんが、
どんな悪いときも自分を失わない、そういう意識を強く持ちたいです。


好きなことは、食うためだけに貫かなくてもいい。
一つに絞れないなら、それでもいい。
生きることを豊かにするために、そんなふうに貫く人が居てもいい、と
思うようになりました。


病気、お金、がんじがらめの縁故、そんなことで悩んでいる人たちに
やっぱりそれでも「好き」は捨てないでいよう、そう励ましたいと
思っています。