はてなダイアリーとともに −1−

カフェでまったりと音楽を聴いていたら、突然に、
はてなダイアリー10周年おめでとう!」キャンペーンのメールが
届きました。


はてダのお題キャンペーンでTシャツや本が当たったりというのは、
何度と挑戦してみたけれど、そうか、もう10年も経つのか…と
感慨深く、応募してみようとメールをじっくり読みました。


あっさり書いたら、たぶん書ける。けど、はてなダイアリー
出会って変わった様々なことは、真剣に書くと長くなります。


とりあえず、どれくらい長くなるのか、2部に分けて書いてみようと
思います。


第一部は、はてなダイアリーとの出会いを、私の非公開思い出と共に。
第二部は、はてなスターから広がっていった私のネット生活など。


第一部


10年前のわたし
はてダが始まったらしい2003年は、他のSNSを使って既にネットでの
仲間がたくさんいました。


私は今の会社に、博物館・美術館で展示不可能で眠っている資料を
公開したい!という目的で入社しました。目的はそうであっても、
当時はまだデジタルアーカイヴは構想でしかなく、私が本当にそれを
始められたのはだいぶ後です。


収蔵作品を、ストーリーを持たせた動画にして館内で上映する、
そんな形式が第一弾でした。
自然、放送局や代理店との仕事が多くなりました。


かつてドワンゴがネットで社員募集をしたときに、行きたくて
夜も眠れなくなったのは、この経験のせいです。
参照:ニコニコ動画のあさって http://d.hatena.ne.jp/green_summer/20080901/SP


テレビの地上デジタル波に先行して、衛星でのデジタル放送が
始まりました。当時は、映像の付加価値とされる「データ放送」が
視聴の鍵となると言われ、検索システム等でデータベース構築の経験が
あった私は、映像の世界から、いきなりデジタル放送の世界へ引き抜かれました。


衛星デジタル放送の開始は午前10時でしたから、会社中で見守って、
無事に画面が映ったときは、おそらくY2Kより感動ものだったと思います。
思う…というのは、私の担当番組はその直後から放送されていたので、
俗にエアチェックに必死で、拍手喝采の輪に背中を向けていたからです。


そんな私がです。突然、ネットの企画部署に転属になりました。
社内メールは使っていたものの、いきなりインターネットって言われても!
もちろん存在も知っていましたし、家でプライベートで使っていました。
でも通販にも興味なく、繋がってるだけ…の私に、
「ネットで売れるサービスの企画・開発をせよ」と言われても!


他に同時に転属された人たちは、ECサイトの運営経験があったり、実際に
プログラムを組んだ人だったり。その中で
「HTML書くのに、どんだけ時間かかるん?」
と質問していた私だけは、左遷、リストラかと思う配置転換でした。


さて、ようやくw はてダが近付いてきますw


困った私は、とりあえず、自社が出資しているSNSに会員登録しました。
残念ながらこのSNSは財政難で解散に追い込まれ、現在は存在しません。


業務の一貫で始めたことなので、当然、誰に読まれても問題のない…
つまり最初から、「ダイアリーといってもこれは世界に公開されているもの」
という意識の下に日記を書き始めました。


このSNSに登録したのが、おそらく2002年くらい。はてダはまだテストサーバに
存在していたくらいなのでしょうか。


そうしてSNSを通して日本中に友達を作り、リアルで会い、ネットって面白い、
そう思い始めた矢先、今度は私は、本社の総合企画販促に
転属の憂き目に遭ったのでした。


シリコンバレー発が面白い
またもや「リストラか!」と叫ばずにはいられなかった突然の異動。
飲み屋で上司に絡み、全額おごらせるという、私史上最悪の無礼を働いたのも
このときです。


配置先は、常務・専務・本部長席と同じフロアに本部を構える、
企画部門でも最も花形の部署でした。
企画内容は、商品のプロモーションはもちろん、キャンペーンはやるは
イベントはやるは、下手すると他社の商品開発にまで首をつっこむはの
なんでもアリアリ。しかも私の席は、その中でも抜群に成績の良い部署。


これからはそういうのに、デジタルをからめていかないとダメだよね、
ということで、デジタル部門から引き抜かれたというのが真相で、
決してリストラではなかったのですが…


「ここなっつさん、av●xのタレントのリアルタイム映像を、同時
 300,000人視聴可能で流したいんだけど」


Σ( ̄□ ̄ ;) ムリ...


「その見積、明日までにできるかな?」


Σ( ̄□ ̄ ;) つか、インフラが...


「ここなっつさぁん、RSSリーダーなんだけどさぁ、自動で平仮名入力できる
 検索システム装備してくんない?」


Σ( ̄□ ̄ ;) それはマイクロソフトに...


「できなきゃ、いいや、他社にやらせるから」


「ここなっつさんですか、初めまして。あの、PDF形式のファイルに、
 メールで受け取ったデータを埋め込んで、一斉配信して欲しいんですけど」


Σ( ̄□ ̄ ;) てか、あんたダレ...


今となればどうとでもなるかもしれないことを、時間単位で要求されていたのが2003年。
デジタル放送でも血反吐はいてたけど、この時も要望に追いつけず、
「できません」の一言が言えない私は、毎日毎晩、ネットの最新情報を収集していました。


そのときに出会ったもののひとつが梅田さんの「英語で読むITトレンド」。
そう、英語で書いてありました。ちゃんとその下に日本語訳が書いてあったけど。
このように、本当に最新情報を得たいと思ったら、英語で書かれた文書を
読まないといけなかった時代。


だから私がサービス登録したほとんどは、まだ日本語版がリリースされていない頃。
住所を登録しようにも、USかUKしか選べないような時代でした。


でも、だからこそ、今ではSEO的にタブーとされるFlashを使ったオープニングや、
RSSリーダーにどんどん配信されてくるニュースが斬新で、それを導入提案できた私は
そこそこの対価を得ていました。


シリコンバレーから発信される情報は、単に技術だけではなく、ネットワークを使った
様々なサービスを予感させるもので、寝る間もアイスが溶けるのも惜しんで(え
ずっとかじりついていた、そんな2004年でした。


はてなダイアリーを使ってみよう!
そんな中、弊社出資のSNSが閉鎖、仲間はほとんどがmixiに流れました。
私もmixiにアカウントは持っていましたが、なんかもうSNSというより、
「ブログ」というものに興味をもち、はてなダイアリーを始めてみました。


当時はfc2が人気だったような? 他にもライブドアを使っている人が多かったか?
とにかくブログは沢山ありました。でも「はてな」を選んだのは、
「梅田さんがはてなダイアリーを使っているから」
それだけの理由でした。最初は。


綺麗にカテゴリーが整理され、タイトルが一覧され、キーワードが反転し、
トラックバックも貼ってあって、
そして【広告がない】
とても使い勝手が良さそうに見えました。


後で他のサービスを使ってみて気付いたのですが、はてなダイアリー
決して「使い易くない」、HTMLを知らない非技術者には取り扱い困難
な部類であることを知りました。


ゆえに、はてなダイアリーを使っている人は、類友というか、
やはりネットの技術やサービスに興味を抱き、それを「はてな」で実験しよう、
という変わり者が多いということも知りました。


結果として、それは私にとって良い出会いを生むことになりました。


最初に登録したダイアリーは、同僚に悪意のコメントを沢山書かれ、それが
2ちゃんねるにも飛び火した関係もあり、数ヶ月でアカウント放棄しました。
今のはてなダイアリーは、2代目です。


そして数年後には、カテゴリー「北アルプスの少女の将棋漬け」を
サブアカウントとして3代目のダイアリーができました。


意外と知らない人が多いらしいですが、「はてダ」は複数アカウント5つまで
公認しているのですよ。裏アカとか別アカというと悪いイメージがありますが、
はてなはそうじゃない、それが使い勝手の良さになっていると私は思います。


ということで、第一部はおしまい。