日本は昔ほど優しくない

まず「昔」はいつか、ということ。
少なくとも、Naganoオリンピックは、遠い「昔」。


昨年の晩秋、社長が全社員を集めてビジョンを語ったとき、
Naganoオリンピックでのエピソードを引いた。


海外報道スタッフが驚いたのは、自販機の多さ。
あんなに無防備なのに、なぜ無くならないか。
なぜ釣銭を盗まないのか。
日本人は自分たちの性質を、もっと誇りにして良いのだ、と。


聞いていて涙がこぼれそうになった。
そんな良い時代が、日本にもあったのですね。
今でも自販機まるごと泥棒は滅多にいないけど、日本人が
今でも心豊かだからでは無いですよ。


今も昔も、日本人はケチくさい。
他民族からの侵略が滅多になかったからだと言うが、そのせいで
危機感は確かに薄いけど、他人に冷たいのは他国と同じ。
日本人が特別温かいということはない。


日本も、文学は上流階級のものだから、庶民の暮らしはよく分かってないけど、
略奪、殺害、差別、権力者による搾取、それは当たり前にあって、
分かっているかぎり、第二次世界大戦直後の日本は、
まだその只中にあった。


戦後40年くらいに、日本は「誰もが中流意識」を持つほどの
平和な時代があった。
海外の人が日本に旅行に来るようになり、日本人も欧米人に対する劣等感や嫌悪感がやわらぎ、
「日本は良い国」と思われたくて、おもてなしをした時代。


もてなす…というのは、それによって自分が見返りを求めるものであって、
どんなに労いの気持ちがあっても、自分の使用人にご馳走を振舞うことを
もてなす、とは言わない。
見返りは金銭的な物ばかりでなく、旅人を無料で泊めてあげるのも、
近所から「あの家は太っ腹」と思われたい、とか、そういう類で、
本当に旅人を労わって泊めた場合、その家は「もてなした」とは言わない。


そして、その旅人が実は強盗だった場合、周囲は「自業自得」とか「自己責任」とか言って
泊めた家を慰めたりはしない。そんな国だったら、今でも旅人を泊めているはず。


最近、交通機関では優先席を利用している。両肩がケガしており
突然の揺れに対処できないから。自分を支えることもだが、
少しの揺れでも隣人を突き飛ばす危険がある。


優先席の前には、やはり優先席を求めてくる、優先席を必要としている人が立つ。
しかし、この9ヶ月、席が譲られているのを見たことは5回あるかどうか。


フラフラになっている妊婦や、脚にギブスをして両腕で松葉杖をついている人、
そんな人が立っていても、席を替わる人はほとんどいない。
もちろん、替わる余裕がないほどに、自分も具合悪い人もいるだろう。
しかしほとんどが、スマホのゲームに熱中していて、気付かないのだ。


松葉杖の人の時はいたたまれず、私が席を替わった。私も赤い札を下げているから、
替わられるほうもすごく恐縮するので、こちらも良い気分ではない。
そして、松葉杖の人に席を替わったのは、この9ヶ月で二回。


妊婦に席を替わろうとして腰をあげた瞬間に、前に立ってた人に取られたときもある。


日本人が優しかったのは、ほんの一時だけだと思う。