推理小説と私

この夏くらいから、新本格ミステリ熱がぶり返しています。


自分で「新本格」という表現にこだわるのは、好きとの表明ではなく、
本当を言うと「新」じゃない「古典」とも言われるミステリは
あまり読まないからです。


新本格ミステリの作家は、ビックリするほど古典ミステリ好き。
まぁ、それが起点になるから、当然の職業病と言うか。


アガサにしても、乱歩にしても、複数がドラマになっています。
小さい頃からそんなのを見ていたら、トリックを覚えてしまう。
最近、有名な古典を初めて活字で読んだ時は、ドラマはエンディングが違うかも、と


ちなみに、こう思ったのは、綾辻行人「霧越邸殺人事件」がドラマ化されたとき、
犯人も、そしてもちろんトリックさえ原作と違って、
ビックリ腰を抜かした暗い記憶があるから。


新本格ミステリを読む時と同じように、些細な違和感も覚えておいて、
頭の中で事件を組み立てて行ったのですが。
残念ながら、新本格ミステリなら「アンフェア」と言われそうな、
平凡な終結だったのです。
あー、映画も確か、こんなだったっけねぇ。


こんなパターンばかりではないのでしょうが、古典はやはり有名すぎるのと
新本格と比べると、引っ掛けが少ないのでしょうか。
決して否定はしないのですが、そう、文学も人に拠る技な以上、
模倣されれば珍しくなくなるし、古くなるのは当たり前なのでしょう。


幸い私は一般人なので、古典を読まずに新本格を語るな、と
言われるような立場ではありません。 自由勝手に書きます。


ミステリファンなら当然読んでいる、と言われる古典?が幾つかあります。


一般人にはあまり知られていないし、私も読んでいませんでした。
そんな中の一冊を、やはり最近、新本格ミステリに影響されて読みました。


なるほど、これを書くには広い知識が要るし、これだけヤヤコしく
あちこち絡めるのは大作業だ、と感じました。
作家なら、こんな大量の伏線を敷いてみたいと思うのかも、とも。


この作品を私がどう感じたのかはさておき、その後で読んだ新本格の中に、
この作品が出てきました。誰かの、時間潰しの読書場面で。
偶然にも、読んだ直後だったために、
「こいつは推理小説マニアの設定か?」と思ってしまったほど。


今まで読んだ中にも、気付いていないだけで、古典が登場している
のかもしれません。
しかし、私は、こういう作品の登場は、あまり好きではないのです。
その作品自体が、トリックに関係しているのなら、ともかく。


仮にも、誰かが作った世界を、本という中の虚像に納めてしまうのですから。
例えると、日本の某探偵が金田一探偵を尊敬していて、
シャーロックホームズは全巻読んでいる、なんて設定が出てきたら、
金田一は実在でシャーロックホームズは架空? と、白けた気持ちになりませんか。


そんな感じで、誰のせいでもないけど、やはり私は
古典はドラマですませちゃう…のかな、なんて思いました。