職業選択の自由

なんか最近、こんなことばっかり日記に書いているのは、やっぱり
ウェブ時代をゆく」の影響というか、完全にノックアウトされて
立ち上がるには考えざるを得なくなっているというか。


「自分の好き」は何だったろうなぁ?と振り返る。
就職氷河期に大企業へ、しかも地方大学出身の本社採用女子は一人だけ
という特別待遇に、知ってか知らずか自分を企業戦士へと追い込んだ。
やってた仕事は嫌いじゃない。むしろ、高校卒業して大学進学の道を
選んだときから、私は大企業に入って能力に沿った仕事をするのが
「敷かれたレール」を走っているようで楽だった。


本当に楽か?と聞かれたら、やはりそんなことは無いと思う。
キュレーターの資格を取るのに夏休みはつぶしたし*1
本社採用のために、地方から5回も採用試験を受けに通ったし。
配置されてからは激務だし、誰かのミスのために担当を引き継がされて
逆転勝利をおさめるには、かなりの工夫と勉強を余儀なくされたし、
「敷かれたレール」なんかじゃ、なかったはず。


だけど「敷かれたレール」と思うには理由があって、私は高校のとき
他に就きたい職業があった。それが一番「好き」だった。そっちの道に
進むためには、それなりの学校へ進学する必要があったけど…
たぶん、みんなもそうだと思うけど、本当に「好き」なことって、他人に
言えなくない? 私はどうしてその学校に進みたいのか、両親に言えなかった。
猛反対されて仕方なく四年制大学へ進んだけど、べつに四年制大学でも
私の「好き」は続けられることで、もちろん、続けていたわけだけど。
それでもいざ就職となったとき、私は「好き」に進めなかった。
こわかったんだろうなぁ
夢が壊れるような気がしたんだよね
「好き」で飯食う自信なかったし。
それくらいなら就活して大企業に入るほうが、よっぽど楽だと思っちゃった。


就職してからも、地味に「好き」は続けていて、もちろん今からだって
「好き」を本職にして悪いことは無いよ。飯は食っていけないけどね。
ちなみにこれって、別に「けものみち」ではない。古くからある職業。
だから「飯を食う」ための方法も、自分がそのために今どのへんに居るかも
充分分かってる。梅田さんとまつもとさんの対談で、どれくらいの備え
があれば「不安じゃないか」みたいな話題が少し載っていたけど、
やっぱりご飯食べられないのは不安だよ。大金持ちにならなくてもいい
から、ご飯食べて安全な場所で眠りたいよね。


小飼さんのブログに

誰も好きになれないのに、誰かがやらなければならない仕事は現に存在する。

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50962510.html


と書かれていて、例えば

私が好きを貫いて書評する本を届けてくれる宅配のおねーちゃんやおにーちゃんは好きを貫いているのだろうか。私が好きを貫いて買ったプリウスを作ってくれた人々は、みんながみんな好きを貫いているのだろうか。そして、私が好きを貫いて催した宴会のゴミを回収してくれる人々は好きを貫いているのだろうか。

「誰も好きになれないのに、誰かがやらなければならない仕事」というのは、「うまく行ったら褒められる」のではなく「うまく行かなかったら叱られる」仕事でもある。救急車は119番したら来て当たり前。医者はその患者を受け入れて当たり前。そしてこの二つを繋ぐ道は、そこにあって当たり前。


それだけでも辛いのに、こういった職業の多くはなぜか低賃金だ。


そして小飼さんはこう結ぶ。

好きを貫いている者であれば、自らの好きを貫くまえに、好きを貫いている誰かを褒める前に、好き嫌いを抜きにして仕事を片付けた方々をねぎらいたいものだ。


ありがとう。


今日もあなたのおかげで好きを貫いていられます。


これも考えさせられたよね…。私は「好き」を貫いているわけではないが
「誰も好きになれない」仕事をやったことは無い。むしろ妬まれさえする
仕事に就いていながら、ぶつぶつと「好きとは何か」なんて言っちゃったり
してる。贅沢だよ、ほんとに。


母は「差別」をとても嫌う。職業、男女、地域、学歴。なんにおいても
差別はしないのに、ただ唯一子供の頃から「勉強しないと●●にしか
なれないよ」と差別した職業があった。本当に母にしては珍しいことだ。
最近になって、母になぜあの職業だけを差別するのか聞いてみた。
簡単だった。その職のうちの担当者が感じの悪い馬鹿な人だったのだ、と。
母はその職業が嫌いだったわけではなく、その「人」が嫌いなだけだった。
母はその話を私にしてくれたとき「職業を差別してはいけないと分かって
いたけど」と反省の言葉を付け加えた。


あの職業に就いた人が「好き」でやっているとは思えない。母の嫌いな
その担当者も、嫌いな職業だったから感じが悪かったのかもしれない。
「好きを貫く」と拳を固める人の態度が少し軽く見えたという
小飼さんの意見ももっともだと思った。


でもこれから先。やっぱり私は「好き」をやっていたい。できれば
「好き」で飯を食いたい。
小田和正氏の Time can wait 
「 忘れないで。夢を追いかける人のために時は待ってる 」
これはたぶん、梅田さんの言っていることとイコールだと思う。
「夢を追いかける人」「好きを貫く人」には、それなりの結果が
ついてくるのだ、ということ。というか、結果が出る時まで
「夢を追いかける」「好きを貫く」のだ、ということ。


忘れないで。夢を追いかけること、好きを貫くことは、それほど
生半可じゃない、ってことをね。

*1:ところで、実習で考古学博物館に行ったとき、近くの遺跡から発掘された土器を水洗いする作業をしていて。私一人、どうしても黒い土が落とせなくて焦っていた。「すみません、この黒い土が落ちません」と館長にギブアップを申し出たら「すごい!これは墨で書かれた文様だよ!この遺跡から墨が出たのは新発見だよ、よくやった!」…( ̄□ ̄;)は、半分近く落としてしまいました…とは口が裂けても言えなかった