桜、早すぎる春 -2-

午後、二度目の休憩時間になった。
ここで退散する人が多いのか、詩織の左右に座っていた
人たちが一斉に席を外した。これ幸いと詩織も席を立った。


男性用トイレの前に長蛇の列ができていた。こんな光景は
滅多にないだろうと詩織は少し可笑しかった。帰ったら
同僚に報告しなければ。
ホールロビーとは反対側の廊下に人が密集している。
その先に喫煙所があるらしい。手前には売店があって
飲み物も売っていた。
ホール内は飲食厳禁。詩織は睡魔と闘うために、飴を
調達しようと思った。うまい具合にフリスクもあった。
詩織はペパーミント味を入手すると、その場でぴらぴらの
包装を破り、2粒口に入れた。これで最後のパネル
ディスカッションも船を漕ぐことなくやり過ごせるだろう。


さらに廊下の奥に、飲み物の自動販売機があった。
喫煙者たちは販売機の前までいっぱいだった。
煙の中をくぐって販売機の前まで進むと、カップの珈琲
もある。ホールの中には持ち込めないが、詩織は缶コーヒー
が苦手だった。休憩時間中に飲み干してしまうことに
して、ブラックの珈琲を買うことにした。


小銭を取り出そうと、鞄に手を突っ込みごそごそやって
いた。その時。
廊下の反対側から、すらっと背の高い和風美形男子が
歩いて来る。小さな花柄のシャツを皮パンの上に出し、
サラっとした茶髪を少し踊らせながら歩いて来る彼は、
やはりこの場に浮いていた。
田辺善文。詩織にとって忘れられない人物だった。
小銭を出す手も止めて、詩織の目は善文に釘付けになっ
た。まさに全身、フリーズ状態。


善文の目が詩織の視線とぶつかった。黒や紺のスーツの
おじさまたちの中で、ベージュのジャケットに春らしい
淡い青のスカーフを巻いた詩織は、遠くからでも目立つ
らしい。善文が一瞬、歩く足を止めた。
「あ。」声にならない善文の声が聞こえたように思う。


この物語はフィクションです。実在の人物、団体、組織とは関係ありません