桜、早すぎる春 -1-

4月。むさくるしい偉そうな年配たちに混ざって、
佐倉詩織はNHKホール一階の中央付近の席に座って
いた。毎年、この季節に行われるデジタル放送のシンポ
ジウム。参加するのは初めてだった。詩織にとって
デジタル放送は地上だろうが衛星だろうが関係ない、
そう思っていた。しかし、今年はちょっと違う。
詩織はデジタル放送が視聴者に与える影響について強い
関心を持った。テレビに出来る新しい可能性について、
真剣に考えようと思っていた。


詩織の勤める日丸テレビは、デジタル放送開始は後発
だった。関連地方局の金銭的体力が弱かったせいもある。
放送設備のメーカー契約に時間がかかったせいもある。
そんなことも手伝って、しぜん詩織の興味は薄かった。
未だにデジタルチャンネルではサイマル放送をしている
だけで、NHKの紅白みたいな「お茶の間審査員」を試
みる企画も無かった。


あることをきっかけに詩織はデジタル放送にしかできない
大きな役割に気付いた。それは言い換えれば、詩織個人
ができる役割の模索に他ならなかった。
昨年の夏、アフリカにロケに行って以来、詩織はずっと
考えている。自分に出来ることは何なのか。


午後から始まったシンポジウムはNHK会長の挨拶で
幕を開けた。この様子は教育チャンネルで放送される。
ホールの中には大きな固定カメラのほかに、2台の
ハンディカメラが動いていた。


いよいよ間近となった地上デジタル放送に向けて、
放送局は視聴者に向けどんなサービスを展開する必要が
あるのか。地上デジタル対応のテレビはまだまだ値が
高すぎる。電気メーカーがそれに反論する。そもそも
視聴者にとって地上放送のデジタル化はメリットが分かり
にく過ぎるのだ。そんな議論が続いた。


詩織は時々観客席に向けられるハンディカメラを意識
しながら、奥歯をかみしめて睡魔と闘った。
観客の多くはテレビ局関係者だろう。他に広告代理店。
新聞などのメディアも来ているだろう。おじさんばかり。
若くて姿形の整った詩織は、完全に浮いていた。



この物語はフィクションです。実在の人物、団体、組織とは関係ありません