学校授業の受け方

核心に触れる度胸はないので、外側だけつつくよw


私の受けた「学校」による授業は、すべて私たち生徒は
「受け身」だった。
本当は大学のゼミ(文学系では正式には「演習」と呼ぶ)
では活発な学生同士のやり取りと、教師(教授?)に
よる舵取りがあったんだけど、私は個人的事情で
受け身に徹していた(爆)
だって!英語で話し合ってるんだもんw
半分くらいしか意味分かんなかったし、たまに発言を
求められて答えても、発音注意されるしさw
うん、理想的教育現場だったんだけどね(汗


いろんな人の意見とか見ていて、
そうだよ、教室の風景は変わっていいはずだ
と思った。
板書に時間がかかるなら、予めパワーポイントで
授業内容をまとめておくのはアリだよね。


学生がそのデータをもらう、ってのもアリかもしれない。
でもさ。旧いって言われそうだけど、データで読むものって
頭入んないんだよね。字を書くと、頭に入る。
英単語とか漢字も、書き取り練習した方が記憶に残るよね!


あと教師がした質問にYes or No をパソコンから送るのも
どうかなぁ。もちろん、その方が全員参加の可能性が
高い。それは絶対にそうだと思う。
だけどそれだけのために、学校の授業で終始パソコンに
向かっているというのは、私はあんまりだと思う。


家でネット使って、一生学び続けてる人は、
もしかして会社でもパソコンに向かっているかもしれない。
気付いているだろうか、この「しんどさ」に。
時間的にネットに拘束されるのは、ものすごく疲れる。
だから欲しい情報だけ回収するRSSリーダー使ったり、
アフィリエイトみたいなサービスが出たりするんだと思う。


それが学校で否応なく使うことになったら。
家に帰って、パソコンに向かう元気なんかなくなるように思う。
パソコンじゃなくて、携帯でもね。
もちろん、ゲーム機だったとしてもねw


高校のとき、一番苦手だったのは「物理」だった。
0点取ったのは「数学」だけどね。でも苦手意識がすごかったのは
物理。molでつまずいた。あれの概念が理解できんかった。


でも通知表の「物理」は、必ずしも悪くない。
テストが悪かったのは当然だが、通知表は悪くない。
なぜか?
なぜなら、私は「物理」が苦手だったから。


なんじゃい、意味わからん! と思った人は、本当に学校の授業を
受け身で受けてきた人だと思う。


私の通った高校はまちがっても進学校ではない。
だからとは言えないと思うが、授業中に寝ている人は多かった。
物理の時間は眠かった。 先生の声がまたいい感じにマイルドで。


だから私は授業中、先生とのコミュニケーションをはかった。
板書し終わると、先生は黒板を写している生徒を少しの時間
待っていたりする。この時間だ。
私は板書の意味が分からないと、眉間にしわ寄せて「わからん」
という顔をする。顔を上げている生徒は少ないから、
この私のアピールはすぐに先生に伝わる。


説明に入ると、先生は板書だけでは理解できていない生徒が
居ると分かっているから、ことさら丁寧に言葉を補足する。
それでも分からなければ、私は首をかしげる
先生はさらに細くする。
それでも分からなければ、私はもっともっと首をかしげ、
眉間にしわを寄せる。先生は今度は違う内容を板書したりして
補足する。


良し、分かった。と思ったときに初めて私はノートを取る。
そのとき、軽くうなずきながら鉛筆を走らせたりなんかする。
たまに顔をあげて、先生に「分かりました」熱視線を送る。
先生も「良かった、分かったか」と満足そうにうなずく。


ってなコミュニケーションを、まぢで一年間とっていたから
物理の通知表が悪いわけがないのだ。私が理解に努めているのは
教師に伝わっているのだから。


誰かの意見に反対しようと思うとき、挙手をするよりは
赤ボタンを押せ、と言われた方が気が楽なのはわかる。
でも赤ボタンを押す時、表情は?どっちか分からないような
無表情で押すんじゃない?


だからなんとなく、合理性ばかりを追求するのは
どうなのかなぁ・・・って思うんだよね..