プロ棋士の思考術

駅構内の書店に、本を買う気も無いのにフラっと入ることがある。
昨日もそんな感じで、重たい荷物を背負ったまま立ち寄った。
棚の一番上に「プロ棋士の思考術 大局観と判断力」の書名が
背表紙を向けていた。手に取ってみると、著者は依田紀基氏。
帯には「強さとは才能でも技術でもない。大局観をもつことだ。」
とある。


なんか帯だけで著者の訴求内容がよく分かるなぁと思いつつ
ページを繰って章見出しを読んでみた。
分かり易そうだし、最近ちょっと自分の中での将棋について
考えていたから、買って読むことにした。


大盤説明会に行って、将棋がどれほど先まで読むか
自分の想像をはるかに超えていることを知った。
ぶっちゃけ、王位戦の第二局は、どうして投了なのか、未だ
理解していない。第三局では大盤説明会も見に行ったのに
遠山棋士のブログに

最終盤、今までまったく働いていなかった後手の1一香が利いてピッタリ詰みとは劇的です。
この詰みが分かった時、思わず「すげぇ」と家で叫んでしまいました。

遠山雄亮のファニースペース
王位戦順位戦 http://chama258.seesaa.net/article/104010461.html


え?1一の香車? なんで?


と思った。そこに香車があったことは覚えているのだけど。
で翌日のNHK囲碁将棋ジャーナル」を見て初めて、最期の一手は
香車だということを知ったときは、やっぱり棋士は違うなぁ!
と思った。*1


そして最近、かつての自分のエントリー
棋聖戦梅田望夫氏観戦記】と将棋嫌い少女
http://d.hatena.ne.jp/green_summer/20080614/p1
を読んで、なんたる無知っぷりを世界相手に公開しているのかと
顔から火が出る思いだ。
観戦記の中で、

「1秒も考えなかった手だよー」と渡辺竜王が叫んだ。△4二玉である。


これに対し、私は羽生棋士がピンチなのかと思った。しかし

「2四と3四に歩が垂らしてあるところに玉が近づいていくなんて、考えられない手だな。佐藤流ですかねえ。羽生さんも1秒も考えてなかったんじゃないかなあ」


盤面をイメージしていれば「羽生さんピンチ?」とは思わなかっただろう。
そうではなく、この手に渡辺竜王が「1秒も考えない」と叫んだ表現の方に
笑ったと思う。書いた梅田さんも、きっとそうだったと思う。
無知って、こわい(涙)


そして最近、ずっと考えていることがある。それはやはり
棋聖戦梅田望夫氏観戦記】と将棋嫌い少女
のエントリーに自分で書いたことなのだが、梅田さんが

羽生さんは私に、意外なことを言ったことがあるのだ。


「実は将棋には闘争心はあまり必要ないと思っているんです。戦って相手を打ち負かそうなんて気持ちは、全然必要ないんですよ」


私は「なぜですか」と羽生さんに問うたのだが、将棋というものは、お互いに1手ずつ指すもので、1手指した瞬間に自分の選択権は無くなる、と羽生さんは答えたのだ。
「もう何もできなくなってしまう。何でもやってください、どうぞご自由にっていう感じになるんですよ。他力思考。他力本願だというのかな…」

という羽生さんのエピソードを紹介している。


これについて私は、羽生棋士はあらゆる手を検討し尽くしていて、
その中で自分の手を決めている、だから次に相手がどんな手を指してきても
心の準備ができているのだと思った。
「きっと羽生棋士は、完成した樹形図の中のどの一本を選ぶのですか?
 お任せしますよ、という気分なのでしょうね?」と書いている。


しかしこれは、大きな間違いなのではないか、と思い始めている。


棋士は膨大な量の棋譜を覚えていて、もちろんその手その手で
いろんなパターンの流れ(私の思うところの樹形図)を想定するのだと
思う。たぶん、それは絶対にやっている。
しかし相手に委ねる(自分の駒を打ったあと)とき、
「樹形図の中のどの一本を選ぶのですか?」
という心境では全然ないのではないか、と思い始めたのだ。


それはNHK
「プロフェッショナル 仕事の流儀
 ライバルスペシャル最強の二人、宿命の対決 
 名人戦 森内俊之 VS 羽生善治」 タイトル長い、って。。
を観たときにも思ったのだが、最高峰の棋士が打つ一手とは、
その棋士にとって今現在の最高で最善で、かつ最大の賭けであって
もちろん定石なんかじゃ全然ないということを知ったから。
それは一見「損」だったりするかもしれない。


この番組の中で、羽生棋士は想像もしない手に出たシーンがあった。
盤をのぞきこんでいた森内棋士は、その一手が打たれた瞬間に
表情が変わった。そして上目遣い?に羽生棋士の表情を伺った。
「なんだ、それは?!」「おまえ、何考えてる?」という声が
聞こえてきそうだった。たぶん森内棋士が「1秒も考えなかった手」。


しかし、この手にも森内棋士は果敢に挑んでいった(とのこと)。
これを梅田さんは「均衡の美」と表現している。


そういう情報を見ていると、「どの一本を選ぶの?」なんて
全然違う!と思う。先のことは分からないけど、今の最善の
手はこれだ。これ以上の手は無い。さあ、煮るなり焼くなり、
どうにでもしてくれ。
そして料理されたものを見て、今度は羽生棋士が表情を変える番だ。


本当のところ、どうなんですか?
なんて聞いてみたい気がする。だから「プロ棋士の思考術」という
本に手が伸びた。
いかにも将棋に暗い者がしそうなことだ。
依田紀基棋士は「碁」のプロだ。読み始めて知った。
こういう瞬間を「あちゃ〜」というんだよね? >父


この本は主に依田棋士ご自身の経験から「プロ」意識について
書かれた本だった。が、一手に託する想い?は同じなのかも
しれない、と思うことにした。笑。


私は大企業の歯車であり、私の一存で勝負に出る機会など
ほとんど無い。しかし敢えて勝負というのなら、それはコンペ
だろうと思う。手前味噌(と言ったら母は眉唾と言ったw)だが
コンペには強かった。それは私が女性だということが大きいと
思っている。大きなコンペに女性が出てくることは滅多にない。
週に二度のコンペを抱えていた超エリート時代も、競合が
女性担当だったことは一度も無い。


加えて私はビジネスでは賭けを怖がらない。ひとつの仕事を
受注したら、次回も継続受注する可能性が高い(もちろん、そう
思わせるだけの成果を上げるからであるが)。だから最初の
コンペは、それ自体はとても小さくても重要だったりする。
そういうとき、私は「ありえない」と思うような見積と企画を
制作担当に持って行く。利益はほとんど無い。技術力の勝負。


「これで仕事を取ってきてもいい?」と尋ねる。
あり得ねぇと思いながらも、制作担当も燃える。
「それで取ってきたら死ぬ気でやりますよ。そのかわり必ず取って
 きてください!」


競合に「ここなっつさん、そりゃ無いでしょう〜」と言われた
ことがある(笑)。それだけスレスレの賭けをやっていた(笑)


と。大きく脱線してしまった。


将棋も碁もいまだ真っ暗だが、棋士の戦闘能力にはとても
関心を持った。また近いうち、意味も分からぬまま大盤説明会に
ちゃっかり行っているかもしれない(笑)


最後に。依田棋士へ。

「学校の勉強は、答えがあることをやっている。
 だが、社会に出たときには、正解のないことをする」
答えのはっきりあることを勉強して、社会に出れば、答えがないことに取り組むのである。だから学校で習ったことは役に立たない。この矛盾に気づかなくてならない。


業界トップの方がこう言い切ってしまうのは如何なものかと
思います。
多くの子供が、特にミクロやマクロな課題を学校で勉強するときに
「これが大人になって何の役に立つの?」
そう思いながら勉強しています。その子供に対して、やる気を削ぐ
回答を大人がしてはいけないと思います。
私個人的には学校で習ったことを役に立つものにするかどうかは、
個人の考え方ひとつだと思っています。役に立たないと思ったことは
ひとつもありません。


そう思っても、業界トップの方は一人でこっそり呟いてください。
トップの発言の影響力というのは、ものすごく強いものなのですからw

*1:将棋は負けの一手まではやらないんだそうです