梅田氏竜王戦観戦記と将棋嫌い少女

将棋のことなんかまったく知らない素人が梅田さんの竜王戦観戦記の
感想を書きます。
今回は梅田さんの観戦記が、かなり深いところまで書き込まれていたため
素人には、上っ面をなめることしかできませんでした。
素人がめちゃくちゃに感じたままを書きます。深読みしすぎた部分には
触れませんw


素人の感想文なので、本人のメモとして大目に見るか
ここで逃げるか、あるいは忘れるかしてくださいw
無駄な時間を費やしてしまっても、当方、責任を負いかねます♪


あと梅田さんが13回上げられたので13見出しにしてみました。が
梅田さんのエントリー番号とは全く一致していません。
ご了解ください。


(1)将棋に興味のない人たち


私もその一人であるというのが、今年の6月までの事実であった。
今も「好きか?」と尋ねられたら、眉間にしわ寄せることになる。
そういう私たちにとっては、棋士といえば羽生さん。
それ以外で誰知ってる?と尋ねたら、女性は誰も答えられなかった。
50代の男性が「谷川さん」20代の男性が「深浦さん」と答えたのみ。
私は自分が特別な環境にあると思わない。だから将棋=羽生さん
という図式で周囲を覆われていても、これは一般的なことと思う。


(2)梅田さん観戦記との出会い


「絶対に将棋はやらない」とまで思っていた私が、なぜだか
将棋塾に通い始めた。発端は梅田さんの「棋聖戦第一局観戦記」が
ネットに掲載されたからで、そこから不思議な流れに身を任せていたら
こうなっていた。
梅田さんの観戦記が(特に梅田ファンの私には)面白かったのは間違い
ないのだが、それが「ブログ」というものを通して、私を今までより
広い世界に連れ出した。そう、もう「梅田さんのせいです*1」と
言い切ってしまう。
これは単に「将棋好き」の人との接点を得ただけでなく、以前から私が
関心を持っていた「デジタルアーカイヴ」を真剣に考える人との接点も
生んだ。梅田さんの棋聖戦観戦記とは全く縁がない。しかしそこから
シナプスは伸びて、新しい細胞と刺激し結合した。ネットの威力だ!


(3)将棋の世界を覗いてみた


将棋塾に入って、塾生たちみんなに言われるのだが、ルールもろくに
覚えていない素人がいきなり大盤解説に行く?無謀なことらしい。
彼らいわく「あり得ない」らしい。
でもさ。素人が将棋を始める気も無いのに、将棋をちょっと見てみたい、
と思ったとき、将棋塾へは入らないでしょ?
参考書も買わないでしょ?そしたらプロが説明してくれるタイトル戦
などは、一番とっかかり易いところじゃないかなぁ?
ちょっとでも知ってる人には「畏れ多い」のかもしれないけど、本当の
素人はそれが恥ずかしいこととか、思わない。知らないんだから。
門前の小僧習わぬ経を読む。意味分からなくたって、楽しめるよ。
そういう覗き方はダメかな?


(4)渡辺竜王大盤解説


大盤解説に通っていたら、あるとき渡辺竜王の解説日があった。
それまで渡辺竜王に持っていた印象といえば「素人にとって難しい将棋を
野球同様に楽しめ、と無謀を言う人。将棋の素人をまったく知らない人」。
若いのにタイトル4期獲得という実績もあり、すごい人なのだろうなぁ
とは思っていたのだが。
果たして、渡辺竜王大盤解説はとても「おもしろ」かった。笑いの渦だった。
タイトルホルダーなのに目線を私たちに落とせる人なのか、と感じた。
それが勘違いで、単なる歳の若さや明るい人柄だ、というのに気付いたのは
今回の梅田さんの
梅田望夫観戦記】 (2) 人間が人間と戦う将棋の面白さ
http://kifulog.shogi.or.jp/ryuou/2008/10/1-b8b2.html
を読んでから。


(5)渡辺竜王の苦悩?


梅田さんの観戦記を引用。

渡辺が「その子に羽生君はやられるんだ」という中原の予言を意識せずに成長したとは考えにくい。世代対決の申し子を自覚しながら四段になった15歳の渡辺は、当然のことながら自信満々だった。


 『放っておいても、自然にやっていれば、25歳くらいでトッププロになると思っていたんです、15歳のときは。』(将棋世界06年11月号)


 と渡辺は述懐するが、プロになって3年目に佐藤康光王将(当時)とぶつかり、羽生世代の強さを体で知り、強い危機感を抱くことになる。


 『3年目に佐藤さんと指して、「放っておいたらまずい」と思った。ちょっと模様がいい将棋だったんですが、勝ちきれなかった。あとから見るときわどい将棋であるんですけど、完全に読み負けている。


 終盤はほとんど読みにない手ばかり指されましたから。たしかに自分も多少は強くなるでしょうが、上も強くなりますから、25歳になっても、この関係はあまり変わっていないだろうと思った。


佐藤さんと指して危機感を持ったのは大きかったと思います。』(同)


http://kifulog.shogi.or.jp/ryuou/2008/10/1-b8b2.html


羽生名人同様、若くして棋界のスターになった人。大盤解説を見ていても
手を読むのが早い。形勢判断も正しそう。たぶん天才。
梅田さんの言葉を借りれば

渡辺さんは、「将棋が強ければ飯が食える」という棋士という職業の前提が、自分の時代には「放っておいたら」崩れるかもしれないという危機感を抱き、その厳しい現実に真剣に立ち向かう使命感と責任感を持った若きリーダーなのである。


渡辺竜王の「頭脳勝負」すら読めない、将棋を知らない素人には、竜王の感じて
いるであろう責任について、梅田さんの「竜王観戦記」を読むまでは想像しなかった。
…できるわけないよね。


梅田さんが将棋に関心のない人向けの将棋普及に大きく貢献しているのは事実w


(6)羽生さんがF1で、渡辺さんが装甲車


深浦王位のメールが引用された。

『羽生さんと言えども、振り回されるかも知れません。
(中略)
一手でも得して、中終盤へのスピード感に繋げたい、と考える羽生世代に対して、渡辺さんは序盤に65角と打たずに自分の将棋(穴熊)を貫きました。序盤ですと、この1局面に象徴されてますね。局面によってはF1と装甲車ぐらいに違うと感じる事もあります。正直、始まってみないと判りませんが、久々に自分以外でワクワクする将棋ですね。 深浦康市


http://kifulog.shogi.or.jp/ryuou/2008/10/3-f1-0ab0.html


100年インタビュー」で羽生名人が語っていたが「自分の将棋」というのは
貫けば良いというものではない。時代が変わっていけば自分も変わる必要がある。
それを思い起こすと、渡辺竜王は勝負に対して感情を表に出さず、淡々と好手を
選べる人なのかもしれない。


しかし、この
梅田望夫観戦記】 (3) F1と装甲車
http://kifulog.shogi.or.jp/ryuou/2008/10/3-f1-0ab0.html
を読んで感じたのは、羽生名人と渡辺竜王に共通のプライドがあるということ。
それはプロとしての自覚と同義なのかもしれないが、お二人とも
将棋の在り方にプライドを持っており、自己ベストを尽くす。それに於いては
名声とか個人のプライドはどうでも良い。大切なのは「良い将棋」。
違ったらごめんw


(7)羽生名人の苦悩?


またまた引用から始まりw

『巷には、「米長、頑張れ」の声が満ちている。それは当然、私の耳にももちろん届いてくる。


 対局前から"様々な反響"が起こった経験をしたのはこの時が初めてだった。何の苦労もなくのし上がってきた二十三歳の若い棋士と、当時、五十歳、幾多の挑戦と挫折をくり返して、ついに栄光を掴んだ「中高年の棋士」米長先生との対決――こういう構図を描かれてしまえば、それは米長先生を応援したくなるのが人情というものであろう。加えて、私は名人戦を前に物議をかもしていた。


(中略) 周囲には、


 「羽生、討つべし」


 との非難の声が広がっていたのである。(中略)


 ……こうした雰囲気のなかで第六局は始まろうとしていた。


 その前の三日間、私は、本当に真っ暗闇の道を一人で歩き続けている気持ちだった。』

 
http://kifulog.shogi.or.jp/ryuou/2008/10/8-4241.html


羽生名人の「決断力」からの引用だそうだ。
えーと(笑) 同僚Wが「ぜひ読め」と貸してくれたのだが、積読(汗
これを機会に読んでおこう。


当時、将棋に興味がなかった私たち世代は、そんな「羽生、討つべし」なんて
雰囲気はぜんぜん知らない。それどころか、将棋は歳を重ねれば重ねるほど
強くなるもんだ、なんて(今思えば)誤解があったから、羽生名人の快進撃は
快感であり、友人らと「羽生さん、かっこいいー!」と話題にしていた。


棋界のことは知らないが、素人にはヒーローだった。それは間違いない。


(8)そして羽生名人について


NHKの「100年インタビュー」を見たとき、私はブログに自分の感想を
あまり書かなかった。本音を言えば、書きたくなかったのだ。
私は羽生名人がどういう人なのか知らない。「100年インタビュー」で
受けたドライな印象。それはプロとして毅然としており、将棋に対して
真剣に向き合ってる姿であった。 …が。羽生棋士という一人の人間ではなく
将棋界(あるいは羽生世代)の代表として今後の将棋界について語って
いるように聞こえてしまったのだ。


ものすごくドライな表現をしよう(怒らないでねー!!)。
羽生名人は将棋界の象徴なんだよ、真の意味で。だって羽生名人がそう言えば
素人は鵜呑みにするもの「羽生さんが言ったから」。
同じ値段なら、羽生名人の監修した本を買うよね。


そういう言われ方は羽生名人はイヤだろうな・・・でも、自分がそういう役割を
背負わされているのは百も承知なんじゃないかと思う。そして役割をこなす
覚悟があるんじゃないかな、と思う。違ってたらごめんw


(9)将棋について


手は全然読めないが、プロが検討してくれるコメントは面白い。
java棋譜再現のコメントも棋王のコメント引用が多く、面白かった。
昼食休憩のときの特別企画「五級向け」「初段向け」「五段向け」の
局面解説は(意表を突かれたが。笑)面白かった。
どうしてそっち「五級」で、こっちが「五段」なのかは
まったく分からない(笑)&以前の私ならこれは読み飛ばすかもw


はい、先生! 10級未満はどうしたらいいですか?(爆)


「芸術的な」というのは、どういう将棋なのか分からないが、
この将棋は素人の私の目には「綺麗」に見えた。一手一手が繊細。
たぶん(コメントを読む限り)お互いが相手の出方を見る場面が多く、
派手な攻め合いは終盤までなかったから?
しかし中盤までも決して優雅に指されていたわけではないようだ。


「第21期竜王戦中継/2008年10月18日・19日対局の棋譜」の46手目の
コメントに梅田さんのこんな様子がウォッチされている(笑)

対局室の観戦から戻ったライブ観戦記担当の梅田望夫氏は、「すごかった・・・朝と表情が全然違う」とため息。対局の雰囲気に圧倒された様子だった。


(10)ダメな将棋?!


投了のときは、まさかと思った。時間も無いし、ボナンザじゃあるまいし
いくら淡々と好手を狙う渡辺竜王だって、この局面で冷静じゃいられない
だろうー と思った。もっと時間があれば違った将棋ができたのかも??
しかし

感想戦での渡辺竜王は、「ぜんぜんダメな将棋だった」


えー!それはないでしょ!
本当のところは本人にしか分からないのかもしれないけど。
自分のペースでできないのであれば、ダメなのかな。それはそうかも。
だとしたら、それはとても残念。二番で挽回してくださいw


(11)羽生名人の手がふるえない


「ふるえる、って、不利ですよねー」なんて会話を最近する。
相手は警戒するじゃない! でもふるえる頃には本当に逃げ道が無い
らしいw


今回、羽生名人は「△6七銀で勝利を確信した」とのこと。うーむ。
残り時間少なかったし。渡辺竜王がよほどとんでもない手を考案しなければ
ここからの逆転は難しかったと思われる(素人が思ってるだけなので容赦w)

ずっとリアルタイムでお伝えしてきたように、控え室では「かなりの名局だ」と感動が渦巻いていた。にもかかわらず、感想戦での渡辺竜王は、「ぜんぜんダメな将棋だった」と反省ばかりを繰り返したのだ。


 それに私は驚愕した。羽生名人は、渡辺をいたわるような雰囲気を醸し出し「そんなことはないでしょ、こうやったらどうだった?」といった発言を、感想戦が終わるまで繰り返した。


 厳しい勝負を終えたわずか数分後に、羽生は「やさしい先輩」という雰囲気になった。


http://kifulog.shogi.or.jp/ryuou/2008/10/13-8632.html


ちょっと感動したw 前回の観戦記では「わからなかったですね」の連発だった。
羽生世代同士の対局。大盤解説に行ったときも、A級の某棋士が仰っていたが、
「羽生さんの感想戦での『わからなかった』はぜったいに嘘だ(笑)」
分かっていたくせに遠慮してるんじゃないか、って。


しかし渡辺竜王に見せた先輩の姿。。先日のエントリーでも少し触れたが、
梅田さんがずっと「『青と壮』の戦い」と書かれていたように、羽生名人も
世代をとても意識されているのではと思った。渡辺竜王は現在、羽生世代に
飛び出た杭。(あれ?打たれちゃうのか?w)もっとかかって来い!
という想いがあるのでは… 違ったらごめん!


(12)羽生名人の大局観


100年インタビュー」でも羽生名人は七冠について「意識していなかった」と
コメントされた。結果として七冠になっただけで、それは将棋人生の中で
通り道であって、七冠で無くなったからといってどうという感じもなかったし、
という感じ。 私がドライだな、と感じるヒトコマであった。


そして同じく「100年インタビュー」で、「今は良い手とされている手が
10年後にまで良い手とは限らない。試してみて使えないと思ったら
そのときは棋風を変える」というような意味のことまで仰っていた。
プロだなぁ。。


今回の梅田さんの観戦記でも、そういった羽生名人の様子が伺える。

 立会人の米長会長は「二枚がえになって飛車が成ればふつうはいいのにねえ」と羽生に問うたが、羽生は「ふつうはそうですけどね……」と答えた。

 
 総括すれば、この将棋は、渡辺竜王が「二枚がえに成功してさらに飛車を成り込む」という望外の展開になったはずだったのに、「その展開で、必ずしも先手有利とは言えない」という大局観を持っていたのが、羽生名人ただ一人だった、ということなのだ。


http://kifulog.shogi.or.jp/ryuou/2008/10/13-8632.html


「ふつうは」。この場合は違った。
羽生名人は定石はもちろんだが、実戦で新しいことに挑戦するのだそうだ。
それが悪手なのか好手なのか。続けてみなければ分からないのなら、きっと
何度もやってみるんだろう。
それは… 羽生名人が棋士で在るあいだじゅう、ずっと続けられる??
もちろん一局一局を大切にはされているのだろうが、長い棋士人生の中の
賭けであったり検証であったり?


「常にプロであると意識していること」は「プロフェッショナル仕事の流儀」の
中で仰っていたことであるが、羽生名人の大局観は人生観そのものじゃないか?
と思ってしまう。いや、もう思っちゃった。違ってても許して♪
こういうことも併せて、やはり羽生名人は自分が「将棋の象徴」であることを
自覚されて、その宿命をあえて背負っているのではないか、と。。


(13)神すぐる


多くのブログがある中で、こんな辺鄙なところまで読みに来て
しかもこんな下まで読んでくださる方には、今どきネットで使われる
「神すぐる」の表現の意味は解説なくても分かるだろうw


羽生名人は「神」と呼ばれるのが嫌いだとのうわさを聞くが、この
意味の「神」と「神すぐる」の神は意味が違う。
羽生名人は「神すぐる」と言われるのが良いと思うw


「神すぐる」はあるコンテンツやプログラム、制作物の出来が素晴らしく、
そこには制作者の才能が見え隠れし、かつ制作者の並々ならぬ努力と
鍛練?が滲み出ている物、人物に対して使われる言葉。


羽生名人がこれから若い人に「神」と言われたら「神すぐる」の方だと
思えば良いと思うw そもそも天賦の材だけで「神」である人間など
居るわけがない。



そして♪ 


全部で13回。。対局を楽しみながら、時には緊張感で
対局室に居られなくなるほどの精神力と集中力を持ってリアルタイム
観戦記を書かれた梅田さんも「神すぐる」(笑)

*1:お陰です♪の表現の方が正しい