日本語と心中

日本語が亡びるとき」をようやく読み始めた。


これくらいの厚さならば一日あれば読めるだろ。
そんなことが出来たのは、既に過去のこと。哀しいかな
今は一日に二時間以上の読書は難しい。それがマンガであっても。
病気の前には平日ですら週に3〜4冊の文庫は読んでいた。苦でなかった。
しかし今はだめだ…二時間を過ぎる頃、脳に鈍痛、吐き気を催す。
リハビリ期間中に三時間まで延長できるようになったが、社会復帰して
また二時間までに戻ってしまった。


しかし「日本語が亡びるとき」は一刻も早く読まなければならない気がした。
これを読む前にはブログの日記さえ書いてはいけないような気がした(笑)。
先週は激しい体調不良で平日に読めなかったから、今日は二時間で
読み切ってしまおう! というつもりでページを開いた。


予想外。私はこれを二時間で読むことはできない。病気のせいではなくて。
読んでいるうち「ああ、そうか、そういうことか…」と視線が自然と宙を彷徨う。
そうしてしばらく自分の経験と噛み合わせて「ああ、そうなんだ」と
納得させてから次の行に進む。こんな読書法を余儀なくされたのは初めてだ。
現時点、第一章を読み終えたところ。これから先がもちろん気になるが、
既に私の中で想いは複雑に飛び交い、脳が今日の読書時間の限界を告げている。



世界中の人が言葉(や文章)の壁を感ずることなく意志疎通できれば
素晴らしいことだと思う。そうあるべきだとも思う。そしてそれは英語だろう
とも思う。私は文筆家では無いが、作品は英語で書きたいと思っていた。
だからネイティブイングリッシュが身に付いている人にとても憧れた。
ネイティブは無理でも、自分の感じた通りを正しく表現をしたいと思った。


また仮に嫌でも、その必要性はあると感じていた。今どきカフェに入れば
学生は英語の論文を読んでいる。辞書すら使わず(使うとしたら電子辞書)
読んでいる。
ネットで調べ物をしていると、本家サイトは英語の場合が多い。最初は
「ぎゃあ!」と諦めて翻訳ページで済ませていたが、2004年頃からは
なんとか自力で読もうと努力する。


そういう意味でも、梅田さんの「英語で読むITトレンド」はとても重要だった。
特に大切な部分は直訳してあったが、たいていは要約で、それに対する
梅田さんのコメントが添えられている程度。だから引用されている英語は
自力で読んで、そのあと梅田さんのコメントで誤読・翻訳できなかった箇所を
補った。IT専門用語を英語だとどう表現するのかも、ここで勉強できた。
あー
あれはもっともっと続いて欲しかったー(笑)


「日本語が…」に戻る。
一章を読み終えて、背筋が氷る思いをした箇所があった。
梅田さんの著書を読んだときも一度、そういう場面に出くわしたことがあった*1
私は文筆家ではないが文学士(文学科を卒業すれば自動的にそうなる)である。
この本を読んでいて心が傷まないはずかない。私は日本語と心中するんだ、たぶん。


小学生の頃から文筆活動を始めていた私にとって、それが飯の種とか関係なく
書くことはライフワークと言えないこともない。先日もブログに書いたけれど、
作品点数でいうなら一番多いのは歌詞。次に8行詩。そして小説。超短編小説。
大学生時代に我流で作り上げた8行詩には、もちろん一番自信がある。
ネット(SNS)にそれを上げたとき、反響はすごかった。そのSNS仲間に
超短編」という分野を教わり、彼女が「お題」を出した。同じ「お題」で
超短編を書いた。最初に上げたのは彼女。まるで詩のような綺麗な作品だった。
それに対して、私は全く違う、とんでもない落ちの小説を書いた。
超短編はそれが初めてだったが、この反響もすごかった(笑)
試しに出版社に送ってみたところ企画書が届いたが、さすがに超短編1つで
出版できるはずもなく、それはそのまま「未発表」という形ということで
温存♪


そう。。私はこれらの作品と共に心中するのだ…
それはたぶん、私が平均寿命まで生きたとして、もうたぶん、その頃には。
私の8行詩で感動してくれた方々は、そこにひっそりと埋め込んである
心情を、ちゃんと心でキャッチしてくれたから。微妙な日本語の使い方を
私と同じ意味で解釈できる力を持っているから。
このニュアンスが伝わらなかったら、私の8行詩は意味のない文字の羅列。
ああ、私は日本語と心中するんだな・・・


■*1 おまけ 梅田さんファンへの挑戦状(なんだそりゃw)
私が梅田さんの著作で「これはえらいことになった!」と驚いたのは
何について書かれたページだったでしょう?
ヒント:著書は「ウェブ時代をゆく」です。
分かればページ数まで当てちゃってください。
梅田さん御本人のご回答も受け付けます(なんじゃそりゃww)