心得とルール

シュンポシオン横浜(ずいぶん昔のことのような気がする…)の
第一部は「講演会」でした。事前に幹事のtaknakayama氏から
参考資料を頂いていたものの、どのような講演会になるのか
イメージできていませんでした。


振り返ってみれば「シリコンバレー精神とは」みたいな感じ?
あ、某氏の著書とは関係ないですw


講演会前に、講師であるsegawabiki氏とkoichiro516氏から
質問が10題出され、自分は「幾つ」該当するか数覚えてきてね、と。
で当日、その質問の意味説明と参加者の数調査があったのですが、
質問は「前座流 シリコンバレー度チェック」でした。
そして何故か、該当数4つの私が単独トップ。
「4つ当てはまれば十分変です」と褒められながらw(?


でもね? 私はどうして他の方々が1つ、2つしか該当なしなのか
分からなかった。その中でも一番不思議だったのが


5.信号が赤なら止まる


これには必ず該当しますよね?と思うのですが、そうでもないらしいw


この質問の意図は、講演の中であった
アメリカはまず最初にルールがあって、それは絶対守るべきもの」。
これの代表として「信号が赤なら止まるルール、守ってる?」
ということだと思います。
ちなみに日本はルールはあるけど実態が伴わず、分かりにくい、
その上にさらにルールを積み重ねるから、守る必要性を感じない、という
傾向が伺えるそうです。アメリカとは大差だとか。


ルール
皆さん、自動車運転してたら信号赤で止まるでしょう。
恐らく徒歩のときに止まらないんでしょうね?
私は止まりますよ、信号が赤なら。例え車が絶対に来てなくても。
なぜなら、ルールだから。


でも。車が絶対来ないのに、信号で突っ立ってるほど
おしとやかじゃ、ないんですw
信号から遠ざかって、信号の無いところで道を横切ります。
なぜなら、道を横切ってはいけないというルールは無いからw
合理的でしょ?w


ルールは守らなきゃです。私は現在、ずっと都心に居ますので、常に
どこで誰が見てるか分かりません。もし仮に、車が来てないからと
赤信号で道を渡ったとして、何の被害も無かったとしても!
私のその行動を、マンションの窓から子供が見ていなかった、
という保証はありませんね?
すると子供は「赤信号でも渡っていいんだ」と思いますよね。
「車が来ていなかったら」なんていう前提を知らないままに。
日本がからっぽのルールを作ろうと、やっぱりルールは守らなきゃ。


心得
それとは別に、心得(≒心構え)というものはあります。
車が来てなければ、大きな道を横切っていいのか?
本当なら、やっぱり信号のある場所で、車が来てなくても
アホみたいに立ってる、という心得は必要だと思います。
信号から離れたからルール違反じゃない、だから道は渡っていい、
なんていう私の行動は、本来、その道路に信号付けた必要性を
まったく無視した、不心得者もいいとこなんですよ。
ぶっちゃけ、赤信号無視と、やってることはあんまり変わらないかも。


心得とルールの差へのこだわり
だけどルールには罰則がある(無い場合もある)。
心得には無いです。
このふたつ、私はこだわってますね、小学校6年の頃から。


だいぶ前に、私は国立大学教育学部の付属小学校に通っており、
自分たちはモルモットであった、というエントリーを書きました。
自覚は皆無ですが、私は超個性的らしく、在学中のわずか6年の
間に、私を主役とした研究授業が3回も行われました。
2回は体育館授業という大晴れ舞台(半分イヤミw
3回目の6年生のときは、本当は体育館授業にしたかったらしい
のですが、既に2回もやってますからそりゃまずい、というので
急きょ「大会議室授業」というものが設けられました。


そのときのエントリーでも触れましたが、この研究授業に対しては
イヤでも自分が主役であると自覚させられるような、吊るし上げに
あっていました。
本番でぶちこわしてやろう、と思っており、予定通り、
大失敗に終わらせてあげました。
吊るし上げるからいけないんですよ。教師たち、自業自得です。


このとき、私が吊し上げられる羽目になったのが「心得」と「ルール」
への、私の執拗なこだわりです。
私たち6年生は「校則」リニューアルをやってました。
校則のほかに「児童 心得」というものも存在しました。
「心得」の方は先に出来上がっていました。


で「校則」の第3条に「挨拶をする」という項目を作ろうとしていたのです。
それってルールじゃねぇ、心得だぁ
というのが私の主張でした。
ルールというのは守るべきものです。そして罰則を作ってもいいわけです。


昨日、喧嘩した相手に、朝っぱらから挨拶できますか?
嫌いな友達に挨拶できますか?
「挨拶をする」項目には、具体的に
・朝はお互い顔を合わせたら「おはよう」と言おう
・昼休みは「こんにちは」と言おう
・帰るときは「さようなら」と言おう


「言おう」という表現であってもルールはルールですから、
喧嘩してる最中の相手に「おはよう」と言わなかったらルール違反。
喧嘩相手が「おはよう」と言おうもんなら、相手は良いもんで
こっちは悪もんです。喧嘩の理由はなんにせよ、ルールを守らない
私の負けです。


そんなものは「心得」であって「ルール」にすべきでない!
という主張を一人でしており、このポリシーは曲げるつもりはさらさら
無かったのですが、たかが小学校の規則、多数決で「校則」に
しちゃえばいいんですよ。
なのにここにスポットを当て、「ルールじゃないって!」という主張を
何日間も話し合わされたのです。これが吊し上げです。


「喧嘩した友達でも朝から挨拶したら仲直りできるかもしれない」
というのが大半の意見でした。むしろそれをきっかけに仲直りしろ、と。
だーかーらー。それは「心得」の問題であって、規則じゃないー


情熱大陸」を親子でテレビで観ていたときもですねw
渡辺竜王と羽生挑戦者が廊下を歩いて来てたんです。さきに竜王の部屋が
あって、竜王はすっと入ってしまいました。羽生挑戦者も、それを
避けるようにして通り過ぎて行きました。親子で
「やっぱり対局中は、お互い『おやすみなさい』とか言わないのかね?」
なんて話しました。


くどいけど、挨拶なんてものは「規則」で決めるものじゃないんです。


教師としては、誰か肯定派に私をギャフンと言わせるような意見をさせて
私が「分かりました、校則に入れましょう」と納得する図を描いて
いたようなんですが。いーかげん頭にきていた私は、授業が始まってすぐ
「校則にしてもいいと思います。意見が変わりました」
と大ほらを吹いたのです。意見は今だって変わってませんw


あ、それじゃ、この問題は解決ということで。
第4条の検討に進みましょう、という議事になりますね、当然。
第3条については私の意見1回で終わり、研究授業としては台無しも
いいとこです。何百人という教師の見守る中、私(当時、知能指数34歳並)
一人を悪者の晒しものにしようとするからいけないんですよ。


という苦々しい経験もあって、私の中では「ルールは守るもの」です。


日本のルールは確かに変なところがあります。
先日も母と電車に乗ったところ、1車両にわずか3人でした。
なのに何となく、3人とも「優先席」に座りました。
そこへ父から携帯メールが入り、私が返信しようとしました。
そのときです。向いの優先席に座った私と同い歳くらいの女性が
「ここは優先席ですよ。携帯の電源は切ってください」と。
仮に彼女が心臓ペースメーカー付けていようと、電波の届く距離では
ありません。
中途半端にルールなんですよ。そもそも「優先」という表現からして。
でも私は
「そうでしたね」
と言って電源切りました。だって、ルールは守らなきゃ。


シュンポシオン横浜でsegawabiki氏のお話を聞きながら、
そうだよ、日本人は「心得」と「ルール」の区別がついてないんだよ
と振りかえりつつも、みなさん?「信号が赤なら止ま」りましょうね、
とも思った問題でした。