今更将棋が始められた理由



具合わりぃー ネット触りたくねぇー と言いながら

頭痛こらえながら更新。じゃ、やめとけよ、と言いたい>自分


と、相変わらず ひと言多いここなっつです。こんにちは。


まぢで体調不良にて、会社欠勤しております。明日も無理っぽい。

彼女は39度の熱で「下がった」とか言ってるのに、それに引き替え

なんたる軟弱ぶり。んー


そんなわけで、会社休んでるのに将棋の勉強もできず苦しんでいます。

今月末は木村八段の指導があるので、将棋強化月間と決めたのにぃ!


苦しみながらも「上達するヒント」を読み返してみました。数ページ。。


上達するヒント (最強将棋レクチャーブックス(3))

上達するヒント (最強将棋レクチャーブックス(3))


その第2章 1 普通の手が大切


 この基本方針に従い、さまざまな局面でどのような構想を立てていくか。この章からはそれについて考えていきましょう。

 構想を立てることはとても重要です。漠然と駒を動かしているだけでは局面を有利に導くことはできません。もちろん勝利にも結びつきません。ひとつの局面でいくつかの構想を考え、比較検討し、この中から最もよいものを選べるようになれば理想的です。

 将棋は一手だけよい手を指したからといって、それで急に状況がよくなるわけではありません。「自然な手」「平凡な手」を続けていくことによって展望が開けてくるのです。

 その中で大切になってくるのが「方向性」です。前に指した手の意味を継承し、自分の理想とする形を目指して手を進めていくことが大事です。

 このとき注意しなければならないのが、相手の指し手です。相手はどのような構想を描いているのか。それを許して大丈夫なのか。戦いを起こすタイミングはいつがいいのか。こうした判断のすべてが問われます。


やっぱり将棋って文学に似てるなー と思いました。

少なくとも、最初に構想を立てること。取材や資料集めをした結果、

自分の予定していた通りの文章が書けなくても(例えば、ある場所から

その風景は見えるはずがない等)最終的な結論は自分の中でこうしたい、

という「方向性」は確固として持っていなければ、小説なりエッセイなり、

書き物は破綻します。


将棋が嫌いになった小学生の頃、私はまだ原稿用紙5枚程度の文章しか

書けませんでした。得意な形式は「詩」で、その得意ぶりは並外れていた

のですが、それについては別ブログで触れたので割愛。

300〜500枚なら容易に書けるようになって(病気中の今現在はダメ)初めて

構想というものを立てて文章が書けるようになりました。


将棋の勉強方法は色々あると思いますが、私が一番好きなのは

次の一手」問題です。(指導対局も好きですが、一人でやる勉強という意味で)


問題を解くとき、

1.自陣の駒の位置を確認→自玉の位置を確認

2.相手陣の駒の位置を確認→相手玉の位置を確認

3.飛車(竜)、角(馬)の位置を確認


ここまでで、いったいどう進んで、今の局面になっているか考えます。

・駒の特性から、その位置には絶対にあり得ない場所にある駒を見付けます。

・自玉をどう囲っているかを見ます

・桂香が動いていないか想像します。

・角交換があったかどうか考えます。


4.お互いの持ち駒を確認


タイミング的には、局面を考えている時とほぼ同時?


5.問題の手を見る


ここで初めて問題を見ます。それまでは見ません。

というか、見ても意味分かりませんね?


6.問題の手を指させた自分の手が何だったかを探る


探るってほどではないですが、ほとんど見当がつきますね?


自分の手は受けられてしまったのか?まだ隙があるのか?

自玉の安全度はどうか?

どうしてですか?問題をやっていると、なんか自玉は詰まされる

直前なのが多いように思うのですがw


7.回答を求める(自分なりに)


守りながら、かつ攻める手は何だろう? と考えます。

経験浅いくせに、知識もほとんど無いくせに、自分ならこうだよなー

という答えが出たところで


8.選択肢を見る


「無い!」・・・ってことが、たまにあります(爆)

しかし在ったら、もうそこでほぼ「決定!」としてしまいますw


9.他の選択肢の場合を検討


あ、こっちの方がいいかも? というのがもちろんありますw

「これは絶対にないよね?」と思うものもあります。

なぜですか?? それが成功する可能性があるからでしょうか??

それとも単なるひっかけですか???


上記、偉そうですねー。とても、たまに相手玉の斜め後ろに金を指して

「王手♪」とか言ってる人の書いてる文章じゃないですねーw


この1〜7までの作業?が、異様に好きなんです。楽しいですね。

恐らく、ほとんど読み間違えてると思いますw

そんなに勉強してないし。


でもねー。このストーリーを読むのが、文章の構成をしているときと

すごく似ているんです。脳の電流が走ってる箇所がおんなじ

なんじゃないかと思うw


子供の頃から将棋をしている人の局面判断の仕方とは、たぶん

全然違うのだろうと思います。現に、ある一題を持って行って

遠山四段に答えを伺ったとき、彼は「絵で分かる」と答えたのです。

それとも・・・?

やり方は同じだけど、子供の頃からやっているからストーリー構成が

速いとか?


それはさて置き、将棋が嫌いだったのに今は抵抗がない、というのは

私が将棋を文学のように思考しているからだと思います。

本当に足し算・引き算・確率・・・算数だけのゲームだったら、

やはり私は「面倒臭い」と言ってやらなかったでしょう。


最近、とあるネットショップでお買い物をしたのですが、

そのデザインに当たりショップはこんな添え書きをしてあります。


将棋の純文学・・・ そんな矢倉をイメージしたシンプルでちょっとオシャレなアルミダブルカードケース。



どうして矢倉が「純文学」なんでしょうか?

それはかえって、文学とはあまり縁のない棋士の方の方が

ピンとくるような気がします。

ちなみに96と突いてあるのは、デザイン上の問題でしょうかね?