本と私

目黒ブラックライオンに行ったとき、偶然
ぽー氏としんぷる氏とテーブルを同じくした時間があり
本(と新聞)のデジタル化の話題になった。


図書館のデジタル化はもちろん知っていたが
近日中に行われる、とある実験に関しては初耳。
そうか、いよいよマイクロフィルムがデジタル化ですか。


頭の回転が著しく遅い私は、忘れていたんだけど
某図書館のマイクロフィルム化には私の勤務先が
絡んでいた気がするw んで
民俗学的資料のアーカイブ事業のときに、出典の
古書を某図書館に撮影に行ったのだが、
「本がマイクロフィルム化されてたらアウト!」なんて
話もした。
マイクロフィルム化は貸出不能(触ると壊れちゃうとか)な
古書から始められたから、
マイクロフィルムになってる = もう触れない = 撮影不可能


そんなんもあって、私はマイクロフィルムに触れることは
なかったのだけど、リールになってたなんてのは驚いた。
てっきりコマに裁断されて保管されていると思ってたんだよね、
35mmポジのスライドみたいに。
そっか、リールだとスキャンが早くていいよねw
(と語弊ありまくりに呟いておくが、この発明を
 『早くていいよね』で片付けちゃっていいわけは無いw)


こいつは何を言ってるんだ? と不審に思った人へ。
http://d.hatena.ne.jp/denshikA/20100517/1274055193


という大掛かりな電子化もあれば、引っ越しを機に
持ってる本をせっせとデジタル化してる ぽー氏のような人も
居る。あんなに大量の本をデジタル化するには
本人も書いているように、一気にやろうとすると
人が人でなくなってしまいそうだw


で、ふと自分個人の「本」について考えてみた。


そもそも人さまに「本を読んでます」と言えるほど
本を読んでない(汗
どうやら人間が「広く浅く」のタイプのようで、本は
書評やらを読んでなんとなく書かれてる内容を想像して
興味を持った本だけを読んでいるらしい。
「ああ、タイトルは知ってる」「駅前にうどん屋なんて無いんでしょ」
ぐらいに会話に参加できれば良しとしている節がある。


現在部屋の本棚を開けてみると、やはり圧倒的に文学物が多い。
好きな作家の本は集めちゃうし、何度も読み返す。
ではデジタル化するか? と考えてみたが、文学なんてのは
私の場合、ベットにゴロっとしながら読むので
パソコン(百歩ゆずってiPad)で読むなんてのは無理っぽい。


他には写真集とか、手芸関係、絵本。
どれもデジタル化したくない。


ということで、自分の中でデジタル化する価値があるのは
学術書、と位置付けてみた。


汗・・・


学術書なんか、私の部屋に無いぞ。。
ふと思い出してみると、学生時代、学術書は買うものではなかった。
高価だしぶ厚いし、絶版になってるものも多いし。
・・・という発想の前に、まず図書館で読んでたね。。
その図書館に無ければ取り寄せてもらえばいいことだし。
国立大だったから?全国どこかの国立大で所蔵していれば
借りられたんだよね。2週間くらい待ったけど。


卒業してからは、自分の専攻分野の学術書は読んでないなぁ。。
というか、
やっぱり図書館に行って借りてるなぁ。。


学術書というと「違う!」という人も「そうだ!」という人も
居ると思うけど、最近、私の部屋に急激に増え始めたのは
将棋の本(笑
読み物はほとんどなく、圧倒的に具体的戦法を書いたもの。
今のところ必要ないのでデジタル化するつもりはないが、
本棚がいっぱいになってしまってデジタル化する必要が出てきたら
まっさきにバラバラにされてしまうのは、これらだと思う。


プロ棋士のサイン入りのものもあるから、できるか分からないが(汗


で、ふっと思ったのだが、
将棋の本を広げるときは、たいてい盤と駒も机に広げて
▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△… を再現しているから
ハードカバーの本は
必要ページをスキャンして、プリントアウトして読んでいる


な、な、なにげに、自分、本は中身だけあればいい、って
思ってるんじゃん??!
デジタル化するのとは意味がまったく違うけど、そんでもって
使い終わったプリントアウトはどうしているかというと
ゴミ箱直行ー。もしくはメモ紙。
データはPDFで取ってある。 なにそれ?!


全ページスキャンしたら、この本は捨てるんだろうな、たぶん。
戦法本だけど、まえがきとかに羽生三冠の言葉が載ってたりする。
でもこのページはスキャンしないで捨てるんだろうな。
捨てるときになってみないと分からないけど。


考えてみれば、スキャナーを買ったときに
「厚い本もスキャンできる」ことを条件にしてたから
無意識にその気があったんだろうな。


ひとつ、重要なことを書き忘れている気がするが、
読み終わって要らなくなった本は実家に送っている。
それを母、場合によっては父も読み、要らなくなったら
母が古本屋に売りに行っているw
本がたまらないわけであるw