新本格の一ファンの雑談

綾辻行人館シリーズファン、というと、まあ十中八九、
新本格ミステリ」ファン、ということになるのでしょうね。
そう言われても、言われなくても、私はどっちでも良いですけど。


先日もエントリーした、この作品



前回は「塩山市の養蚕農家」にしか触れなかったですが、
舞台は二つあって、もう一つというのは、
マレーシアの高原、キャメロン・ハイランドです。



後書きで知ったのですが、この小説が発表されたのとほぼ同時期に、
有栖川有栖の、同じくキャメロン・ハイランドを舞台とした小説も出たとか。


マレ-鉄道の謎 (講談社ノベルス)

マレ-鉄道の謎 (講談社ノベルス)


へえー、と思って、本棚の奥から取り出して(何!
読む。


なるほど、日本にはあまり馴染みとは言えないような高原の街の、
目抜き通りの様子とか特産物とか、描写されてる物はカブってますね。


こちらの後書きにも、舞台が同じである、と書かれていました。


綾辻ファンならまた、かなりの確率で有栖川作品も読むでしょう。
そしてかなりの確率で、有栖川ファンでもあるでしょう。たぶん。


そういう私の設定が無かったとしても、この二作品の舞台が同じことは、
なんの弊害にもなりません。


新本格の人たちは、作品で人が書けてないとか、トリックがチャチだとか、
表現がフェアじゃないとか… 文学界では叩かれることが多いようです。
それで、舞台が同じことを気にするのかなぁ? それとも、
出版社に気を使うから、作者同士も配慮するのかなぁ?


どちらかというと、私は、この「舞台が同じ」だから、眠ってた
「マレー鉄道の謎」を引っ張り出したわけだし、
むしろ良い効果なんじゃないの? と感じました。


読んでる最中も、
「ははぁん、これは桜井京介の方が、少なくとも五ヶ月は前に来たな」
と、登場人物の渡馬時期を想像したりして、楽しんでみたりしました。


なぜ、どっちが早く来たと想像することが可能なのか、
興味のある人は読み比べてみてくださいw


まぁ、作品の中に年号があったりするので、そんなところで比べたら、
どうしようもないですけど。


評論家のいうことが、ビジネスの意味で文学界を左右するわけなので、
読むだけの立場では、何を言っても無駄ですけれど、


読むだけの立場は、自分の興味のある部分を特に読み深めているので、
売り手の思惑なんて、どうでも良いですよ、と。


そしてたぶん、私は先に「綺羅の柩」を読んでいたので、
「マレー鉄道の謎」のエンディングは、知らずに読むより
迫力が増したと思っています。


いっそ、作品の中に、他の著者の登場人物が出てくる
(「マープル婦人なら…」みたいな登場の仕方ではなく)
なんてのは、歓迎かもしれません。


有栖は、旧友に会うためでなく、かつて京都のアイドルだった
綾乃嬢の泊まった場所にも興味があった、なんて蛇足があるとかw