「どうせ...」がイヤ

今の職場は、生産に携わることはなく、実際は少しは情報収集とかしてるけど、
経理上は、私の人件費ということになる。


しかし法律やら規格やらは日常的に絡んでくるから、
安穏と、漠然とこなしているのとは、違う。


その業務を、直属の上司は「どうせ、誰もきにしないから」と、
確認もしないし、提出もしない。
会社の書類は、古いまま、更新されない状態になる。


更新されなくても、さして困らないのは、そこまで細かい監査が
入らないから。入らない、とたかを括って整備しないのだ。


本当は「更新してくれ」と要望はきているのに、社内から。



「どうせ…」という根性は嫌いだ。
言われる前から、自分で諦めている。
同じ「出来ない」にしても、「どうせ」はナイ。


私が自分の無力を嘆くのは、沖縄の辺野古


地元の理解を得ぬまま、先に外国と約束をしたやり方に、
汚らしいものを感じた。


地元の理解なんて、たぶん得られないだろう。それは難しい。
そして、いくら名乗りをあげる地域があるとしても、
やはり、あの立地に代わるのは無いのかもしれない。
近隣諸国の武力介入を免れてるのも、やはり外国軍のお陰だろう。


全部、分かる。分かるけど、強引なやり方は卑怯だと思う。
私たち国民は、ここまで馬鹿にされているのだ、と思う。


しかし、私は、この件で何ができるのだろう。
辺野古の人たちに「本土のひとは、もっと理解を」と言われて無力を嘆くし、
同じように頭にきているのだと知って欲しくても
どうしたら良いのか、分からない。


でも、「どうせ、基地は作るんでしょ」とは全然違う。
違う。
何もしないのは同じでも、気持ちは全然違う。


上司の命令には逆らえない。 でも「どうせ」と自分に線を引く、
あんなやり方に、自分まで未来を失うのはイヤだ。


「どうせ…」は嫌い。