宗教と私

初対面の相手にしてはいけない話題として
「宗教」と教わったことはありませんか。


ブログも例外でなく、扱わない方が良いタイトルです。


でも、最近、どうしても承服しかねることがあって、
私の考えを書きたくなりました。


私自身は、宗教団体に属していません。
身近には、どこかしらに所属?している人が居ます。
所属なのか、信仰というのか、呼び方は宗教によって
違うようですが。


私はどの宗教も否定しません。
厳密には、その誰かがその宗教を信じることを
否定しません。


一日三食、肉も含めバランス良く摂取するのが理想の現代日本
その社会に順応している私にとっては
断食する時期があったり、肉食を控えたりは真似できませんし、
忙しいなか睡眠時間確保を重要視しているので、
理解もしてない呪文を早朝から大声で唱える気持ちもありません。


でも、それを信仰として自らに課し、それによって精神の安定が
得られるという人たちに、私の価値観は無縁です。


私があるアーティストの歌を聴くと無条件に落ち着くのは
信仰でも宗教でもありませんが、究極、自分の拠り所が
どこにあるか、ということだと思うのです。


最近、とある宗教が、私に宗教活動を要求します。
どんな教えか知りませんので、いきなり拒絶はしませんが、
勧誘のために引き合いに出る話題が、神経を逆なでするのです。


なんとかいう芸能人が信仰している。
他の宗教団体からも教えを認められている。
なんとかという宗派は「悪」である。


どっかのテロ集団かよ、と言いたくなりました。


有名なところで、カトリックプロテスタントでは
同じ神を崇拝しながらも、相手の教えを正しいとはしていません。
歴史上では色々あったけど、現代では
「宗教を話題にしない」ことで衝突を回避しています。


そんな現代マナーの中で生きてる私には、
他を正しく理解もせず他派を悪呼ばわりして、私に宗教活動…
つまりは勧誘してくるやり方は、理解を超えて憤りです。


他の宗教団体が、その人の言う通りその宗教を認めているなら、
なぜ改宗・棄教しないのでしょうか?
「認めている」のは、存在していることを認めているのであり、
教えそのものが、自分の宗教より優れていると認めているのとは
まったく違います。 勘違いです。


納得できない説明で勧誘してきたので
「まったく納得できないし、全然気が進まない」と断りました。
日本の美徳の中で生きてる私が、こんなにはっきり拒絶するのは
稀です。


にも関わらず「保留ですね」と言われて、
何日か連続して拒絶する必要性を感じました。
本当に入信させたいなら、生きる指標となるような教えの基本を
まず語ってみせろ、という心境です。


芸能人を広告塔にして陥ちるほど、無宗教ではないんです。