プロの意地

たぶん業種にこだわらず、伝統とかも関係なく、
それで飯を食っているんだ、と自覚している人は、
単に「飯の糧」だけでなく、プロとしての「意地」ってものが
あると思う。
「誇り」はたまに「驕り」に化けることがあるので
あえて「意地」と書く。


私は今の会社に入ったとき、ITをやりたいわけではなかった。
業種や会社の名前で選んだのではない。
「博物館のデータベースを作りたい」と思い、実現できるのが
今の会社だったから。


博物館のデータベース化は、所蔵品の情報を広く公開したい
という想いから生まれており、時代の流れに乗って、自然
ITと密接に関わることになった。


博物館には物だけでなく書物もある。電子ブックという形態や
閲覧するデバイスの動向なども気になってくる。


当初から存在するカテゴライズと著作権の問題のほか、
閲覧費用やデジタル化による加工問題、セキュリティなど
いろんなことが絡んでくる。そういう問題には過敏になる。


しかし。自分と同じ思いではない人が居ると知ると。
がっかりしてしまう。
ネットを使えばいろんな情報を入手できる時代。その情報源が
信頼できるかどうか、なんて、ITを手掛けていれば
いい加減、判断できそうなもの。


最近は地震に関していろんな記事が出るが、私はもう
ソーシャルメディアに書かれたその類は読まなくなった。
うんざりするから。
無責任、自分勝手。全部がそうとは言わないが、不愉快な
根拠ない感情論が綴られていることがある。
そんなもので気分を害するのは損である。


ソーシャルメディアとはそういうもの。それが利点でもある。
テロリストのみなさんはよく理解しているのか、
ソーシャルメディアでは予告をしないでしょ。
それがまた意地でもあるわけ(何


流行ったのは事実であるが… 今頃になって
「昔の友達と再会できました。皆さんも使ってみてください」
と言われたときは、吐き気がした。
何年前のハナシをしてるんだよ!


ネットを通して友人になるケースがある。しかし、本当に
長続きする良い友人は、ほとんどがリアルで会っている。
会ってない人が2人だけ居るが、彼女たちとも
年賀状の交換や、物の送り合いなどでリアルでも繋がっている。
結局、きっかけでしかないと思うのだ。
機会を作ってでも、リアルで会いたくなる。そしてさらに信頼が
深まる。


ソーシャルメディアの魅力が「昔の友との再会」だなんて思ってる人に
私の未来は預けられないと思った。