将棋嫌いの真相(ネタバレ)

将棋ネタをこっちに書く日が続いてますね(苦


ちょっと脱線しますけど。
思ったより、将棋専用ブログって、将棋趣味の人が
読んでるみたいなんです。
だから私が将棋を止める危機に瀕している、とは
ちょっと書き辛い。
あっちのサイトしか読まない人が多いようなので、
まずはこちらで、この危機を発表。


将棋が嫌いなんです。
読むのがめんどうなんです。頭がパンクしそうになるから。


2年ほど前、私はこのように告白しました。
しかし私自身、どうして「憎む」ほど将棋が嫌いだったのか、
「読むのがめんどう」なんて理由で嫌うほど、私は
頭を使うことが嫌いなのか?
腑に落ちていませんでした。


先日、高橋和三段に平手を教えてもらってる最中、
「将棋を楽しみたいだけなら、強くならなくてもいいけど」
と言われました。
「うーん。難しいですよね。強くないと楽しくないとも言える」
「僕は戦って強くなりたいと思いますね」
「私は難解な局面が解けると楽しいです」


「 じゃあ詰将棋でいいじゃないですか 」


衝撃的なひと言でした(汗
確かにそういうことになりますね。でも、そんなわけない(笑


そこから私は将棋の何が楽しいのよ?なんて考えているうち、
その瞬間が訪れてしまいました。
開けてはいけない、パンドラの箱のふたが開いたのです。


小学3年生の夏休み。弟Aと将棋を指している最中でした。
ある事故が起こったのです。
いつもとは違う環境で将棋を指していたため、普通ならすぐに
身体的苦痛から解放されたであろうところ、不運にして私は
数時間、強烈な苦しみに襲われました。


その後数日間、将棋を指そうと思っても、その苦しみが
フラッシュバックしました。
手を読もうとすると、目が回り、吐き気がし、立っていられません。
将棋を指したくても指せなくなっていました。


それで「将棋はもう見ない!」と決めてしまいました。


そこで終わっていれば良かったのでしょうが、私はこの苦しみが
よほどイヤだったのか、事故が起きたことを忘れ、思い出さないために
「将棋を見ない」という手段に置き換えてしまっていたのです。


忘れてしまっていたため、2年前に将棋を見始めた頃は
「なんで将棋があんなに嫌いだったのか?」分かりませんでした。
でも将棋塾に行って「おもしろい!」と思っても
「好き」にはなれませんでした。やはりベースに「嫌い」がありました。


パンドラのふたが開いて、好きになれない理由が分かりました。
いまだに私は、将棋駒を見ると目を回し、吐き気に襲われ…
事故のときの苦しみがフラッシュバックするのです。


これでは一生、将棋は指せません。なんとかこの
事故=将棋 というアホな連結を断ち切らないといけません。
しかし… 思い出してしまったから言えることなのですが、
あの苦しみは、私の人生でいまだ最大級です。


断ち切るために、「将棋を指すことは楽しい」というイメージに
置き換えを図っているのですが、
具体的には将棋塾に行って先生方に手筋を教わって楽しんでいるのですが、
帰り道は立っているのも辛いめまいに襲われています。


でもここで苦しくても乗りきらないと。
また将棋をやめて、あっちのサイトを閉鎖することも
選択肢のひとつではありますが。


とりあえず、一手詰は将棋じゃない、パズルだ!と思うことにして
こんな本を買ってみました。

羽生の一手詰 (SUN MAGAZINE MOOK)

羽生の一手詰 (SUN MAGAZINE MOOK)


81題あります。
だてに「初心者でも必ず解ける」と謳ってはいません。
仮にも将棋を一年半ふまじめながらも勉強した者ならば
瞬殺できなければいけません。
試しに本を逆さにしてやってみましたが、同様です。


パズルなら将棋っぽくてもめまいはしませんでした。
徐々に馴らしていくのがいいのかもしれません。